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江戸東京たてもの園と国立天文台


2014.10.12


 9月の三連休、江戸東京博物館に行こうと思っていたんだけど・・・クマ兄さんの右足がなぜか腫れてしまい、病院に行ったら痛風を疑われ(違ったけど)、膝に水がたまっているとのことで水を抜いて安静を言い渡され、どこにも遊びに行けませんでした。
 そのリベンジと言うことで10月の三連休で東京に行ってみようと。実はペンギン兄さんから江戸東京たてもの園で開催されているジブリの立体建造物展の招待券をもらっていたのです。せっかくなので使ってみようということで、江戸東京たてもの園に行くことにしました。
 が・・・三連休初日の10月11日(土)はネコ娘の小学校の学習参観。ということで、土曜日の夕方から出発です。


出発
 16時、小学校から帰ってきたネコ娘の準備を整え出発。いつも通り最寄りの小杉ICから北陸道に東京を目指します。この時間の出発だと、親不知子不知は明るい時間に通過。ここが北陸道で一番の景勝地じゃないかな。海の上を走っているような道路だよね。
 19時、上信越道のどこかのPAで夕食。おかずはネコ娘が帰宅するまでの間にスーパーで買ってきたお惣菜。車内でアツアツご飯を炊いていただきます。これで約700円の夕食。安い!と思う。こういうところで節約してたくさん旅行に出かけたいと思う。
 22:40、関越道の三芳PAに到着。今晩はここで車中泊にしたいと思います。都内に入っちゃうと車中泊できる場所が少ないからね。ちょっと早めの就寝。
 そして、翌12日は7時半起床。ずいぶんと長い時間寝ました。愛車がリラックスワゴンに替わってから、寝る時間が長くなったような気がします。快適に寝られるからでしょうか?セレナの時は腰が痛くなって9時間も寝ることできなかった。
 じゃ、出発するぞ!(8:30)



小金井公園
 9時過ぎ、小金井公園に到着。江戸東京たてもの園は小金井公園の中にあるそうです。駐車場は有料だったけど、我慢にして駐車。江戸東京たてもの園は9:30オープンだということなので、駐車場でしばしゆっくりしてから、江戸東京たてもの園へ歩いてみようと思います。
 江戸東京たてもの園に歩いていく途中、左手に上写真のような木々を見かけました。木々が離れていて妙に人工的。妙に不自然な間隔で木々が生えていました。木と木の間に草が生えてないんだよね。公園だからかな。

 そんな公園の自然?を眺めつつ、江戸東京たてもの園に入ってみたいと思います。9:40。 
 本日、江戸東京たてもの園に来た目的はこれ。ジブリの立体構造物展に訪れること。ペンギン兄さんがくれた招待券を使って入ってみようと思います。
 立体構造物展はなんと写真撮影不可。入ってみると、最初のうちは思い出のマーニーとか風立ちぬとかコクリコ坂とか見てない映画の展示ばっかり。さっぱりわかりません。進んでいくと千と千尋の神隠しやハウルの動く城が出てきてちょっと安心しました。ジブリ映画が時代背景や建造物の細部にものすごくこだわっていることが良くわかりました。



江戸東京たてもの園を見て回る
 ジブリの立体構造物展は約45分で見学終了。最近の映画は分からないけれど、なかなか楽しめた。この後は江戸東京たてもの園の常設展示を見て回ろうと思います。常設展示の方は写真撮影OKみたい。撮りまくりますよ。



 
常盤台写真場
 それでは西ゾーンから見ていきたいと思います。まずは常盤台写真場。この建物は板橋区の常盤台に1937年に建てられたもの。一階が居住用になっていて、二階にスタジオがあります。右は台所。昭和初期の台所ってもっと釜とか並んでいるのかと思ったけど、意外や近代的。
 二階はスタジオになっています。ガラスが摺りガラスになっているけれど、これは照明設備が発達していなかったので、北側から太陽の光をとることができるようにするためなんだって。



三井八郎右衛門邸
 常盤台写真場の隣にある三井八郎右衛門邸に行ってみる。目の前に古いバスが展示されてます。行き先表示は上野広小路。非常に古いバスすぎて、クマ兄さんではどこのメーカーが作ったバスなのかすらわかりません。あとから調べたらいすゞのTSD43というバスだそうです。なんと動態保存されているんだって。このバス、実は航空自衛隊で使われていたものだとか。
 では三井八郎右衛門邸に入ってみる。この建物は三井財閥として名を残した三井家の総領家、三井八郎右衛門高公氏の第二次世界大戦後の住宅だそうです。財閥解体を経た1952年に、西麻布にこの建物を建てて移り住んだんだって。中に入ると和風とも洋風ともいえない微妙な空間。赤いじゅうたんが高級感を醸し出しています。でも、住みたいとは思わないなぁ。
 外見はちょっと豪華な一般の家って感じ。でも、周りを歩くと巨大さに気付く。自宅にお客さんを呼んで議論したりしたんだろうねぇ。自宅でお客さんを接待するとなると、奥さんも料理を作ったり大変なんじゃ・・・と思ったけど、お抱え料理人がいるか。


 
綱島家
 次は時代をさかのぼって江戸時代中期へ。綱島家という世田谷にあった住宅へ。茅葺きの住宅ですね。さすがにクマ兄さんでもこういう家に住んだことはありません。クマ曾祖父さんの自宅もここまでじゃなかった。
 中に入ると囲炉裏でお湯を沸かしていました。寒いわけじゃないんだけど、ほっこりするね。しばし、囲炉裏の火を見てゆっくりする。
 綱島家では、縁側でボランティアガイドのお爺さんが葉っぱでバッタを作っていました。ネコ娘も一つもらう。器用にバッタを作るもんだねぇ。


 
吉野家
 綱島家で吉野家も行ってごらん、といわれたので隣にある吉野家にも来てみました。吉野家は江戸時代後期に立てられた農家の住居だそうです。中に入ると、吉野家でも囲炉裏を囲んでお湯を沸かしていました。ここでも囲炉裏の横でほっこりしていたら、お茶を淹れるから座って待っててね、といわれました。言うとおりにする。
 しばらくおじさんたちと雑談していたらお湯が沸いたので番茶を淹れてくれました。あぁ・・・美味しいねぇ。囲炉裏を囲んで炭火を見ていたら動けなくなっちゃうよ。
 ここでは鉄瓶を吊るしている自在鉤の構造を教えてもらったり、囲炉裏の白い部分は灰とにがりと石灰で作ってるって事を教えてもらったり・・・なかなか面白かった。


 
前川國男邸
 前川國男さんとは昭和初期に活躍した建築家。この前川國男さんが1942年に品川区に立てたのがこの家。戦時体制の下でこんな自宅を建ててしまうとは恐ろしい人です。一階と二階の間は吹き抜けになっており、どれだけ暖房代がかかるんだ!?と思わせるような構造でした。暖房代を気にしているようじゃ、クマ兄さんはまだまだこんな家には住めないな。


 
旧自証拠院霊屋
 西ゾーンを攻めてきて、時間は11:45。お昼くらいまでで全部見終わると思っていたんだけど、予想外に江戸東京たてもの園は広かった。お昼ご飯を食べられそうところは東ゾーンにあるようなので移動してみます。途中、旧自証拠院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)があったのでパチリ。これは尾張藩主徳川光友の正室、千代姫が母親であるお振りの方を供養するために建立した霊屋。1652年に市ヶ谷に建てられたそうで、東京都の文化財の指定を受けているそうです。遠目でチラ見してすぐに東ゾーンへ。
 2分後、東ゾーンに到着。こっちは街並みになってるんだね。まずは混雑する前にお昼ご飯にしよう。



昼食
 お昼ご飯は唯一の食堂「蔵」で食べようかな、と思っていたんだけど、出店があったので外で済ますことにしました。具だくさんな豚汁が美味しそうだったので2つ購入。あと、肉まん(クマ兄さん)と餅(ネコ娘)を購入。
 お餅は美味しかったらしい(左)。肉まんは大きくて具がいっぱいで美味しかったですよ(右)。たまにはこういうお昼ご飯も良いね。
 具だくさん豚汁は具が大きい。でっかい大根やニンジンがゴロゴロ入っています。こういう豚汁も美味しいねぇ。このあと、ペンギン姉さんが大きい野菜にハマったのは言うまでもありません。
 食後、お店にお盆を返しに行ったら長い列ができていました。ちょっと早めのお昼ご飯にして良かった。そして、座れるベンチがあってよかった。12:15くらいになると、座るベンチが無くて、その辺に座って豚汁を食べている人がたくさんいました。



都電7500形
 お昼ご飯の後、広場の脇に展示してあった路面電車に乗ってみる。これは都電7500形。1962年から東京の路面電車で使われていたそうです。日本車輛製造や新潟鐡工所で製造されました。定格速度は26.5km/h。ゆっくり走るんですねぇ。車内には扇風機が設置されていました。エアコンは無さそうですね。
 車内のシートに座ってくつろぐ。ネコ娘は前に行ったり後ろに行ったりしてベルをチンチンならしてます。ちょっとうるさいんですけど・・・。そういえば都電って東京都内にたくさん走っていたんだよね。最盛期には41系統あって総延長213kmもあったんだって。だけど1972年までに多くの路線が廃止されて現在では荒川線しか残ってないらしい。都電が無くなった後は都営地下鉄や営団地下鉄に輸送がシフトしたそうです。展示してある路面電車の行き先は新橋になってるね。新橋にも路面電車が走ってたのかぁ。
 路面電車の脇では大工さん体験コーナーがありました。ネコ娘が体験させてもらう。釘を打ったり、のこぎりを挽いたり。意外と上手。
 かんなも体験させてもらいました。これは難しかったみたい。表面がガタガタになっちゃった。
 クマ兄さんもやらせてもらったけど、やっぱりうまくいかない。真っすぐに、刃を木材と直角にしないと刃が食い込まないんだね。全然できなかった。
 この後、ちょっとだけ広場で竹馬やりました。ネコ娘、上手に竹馬に乗れるんだねぇ。クマ兄さんはたぶん乗れないよ。



丸二商店
 それでは建物めぐりを再開しましょうか。東ゾーンは建物が密着して商店街みたいになってます。まずは外壁がうろこみたいになっている丸二商店に入ってみよう。この外壁は銅板を張りつけたものらしい。
 この建物は昭和初期に建てられたもの。内部は荒物屋。鍋や釜が大きい順に積み重ねられています。マトリョーシカみたい。
 脇の広場に行ってみたら土管が置いてありました。ドラえもんの世界みたい。土管って近所に置いてあった?土管だって結構高いはずで、子供の遊び道具に置いてあるとは思えないんだけど・・・。ここの土管は子供の遊び用だけどね。


 
川野商店
 広場の目の前にある川野商店に行ってみる。川野商店は和傘問屋だったそうです。内部は1930年頃の様子を再現しているようなんだけど、手描友禅の実演があって、店内の様子は記憶に残らなかったよ。
 店内では笠原さんという職人さんが、生地に色をつけていました。この後、色止めの作業があるそうで、それを行うと水洗いできるようになるそうです。
 展示してあったサンプルが←これ。伝統工芸ってことだから地味なのかなと思ったら結構オシャレ。高そうだから買えないけどね。
 
 
 
小寺醤油店
 こっちは小寺醤油店という大正時代から味噌や醤油を売っていたお店。お酒も売っていたようです。佐渡の味噌の特約店にもなっていたみたい。店内には醤油の瓶のほかにも日本酒やウィスキーの瓶が並んでました。
 左はレジ。かなりの年代物。さすがに動かないと思うけど。ハンドルが付いてるけど、これを回すと計算ができるの?なんで?
 右は醤油の容器。右端の二本はキッコーマンとヒゲタしょうゆのPETボトル。その奥が2Lの醤油瓶。ラベルはヒゲタ醤油。その奥がヤマヤマ醤油の角缶。醤油瓶を角缶にいれて運ぶのかな?


 
鍵屋
 この木造2階建ては鍵屋という居酒屋。1856年に酒問屋として操業し、1949年から居酒屋の営業を始めたそうです。台東区にあった居酒屋ですが、関東大震災・太平洋戦争での被災を免れた貴重な建物だそうで、江戸時代末期の特徴を残しているそうです。店内に入るとかなり狭いカウンター席。座敷も2畳分くらいはあるけど、上がれるのかな?その隣には3畳ほどの個室もありました。こっちはがんばれば6人くらいで宴会できそう。
 カウンターに座ってメニューを読むと櫻正宗、大関、菊正宗の三種類に日本酒とビール。ほかに飲み物はなさそうです。頭上のお品書きには湯豆腐とか味噌おでんとか美味しそうなものが並ぶ。冷奴は60円、お新香60円。何年ごろの値段なんだろう。


 
子宝湯
 東ゾーンの一番奥には子宝湯。唐破風の玄関が神社みたい。中に入ると脱衣所は展示室(右)になってました。
 男湯に入ってみる。女湯との壁が低い。これなら石鹸を忘れたときに、向こう側から投げてもらえる。マンガでそんな光景なかったっけ?湯船は三つ。なぜ三つ?温度が違うのかな?
 入浴料は大人15円。昭和26年の値段です。この建物自体は昭和4年(1929年)に作られたんだって。
 
 
 
仕立屋
 子宝湯の横にある仕立屋。大正時代の仕立屋の仕事場を再現しているそうです。当時の仕立屋さんは店構えなどなく、自宅を仕立の仕事場にしていたそうです。


 
村山大島紬
 万徳旅館では伝統工芸の村山大島紬の実演が行われていました。ものすっごい細い絹糸を使って機織するそうです。綺麗な葵色の糸で織ってました。このおじさん、気さくな人で機織トントンは最後の仕上げ、それまでに糸を作ったり、織機に意図をセットするのがものすごく大変、ってことを教えてもらいました。トントンまで行ったら時間的にはほとんど終わりらしい。


 
武居三省堂
 明治初期に操業した文具店、武居三省堂。クマ兄さんは三省堂っていうと本屋さんのイメージが強かったけど、文房具店なんだね。最初の頃は筆・墨・硯といった書道用品の卸を中心に商売していたそうですが、いつからか絵筆や文具も扱うようになったそうです。この建物は関東大震災後に建てられた看板建築というものだそうです。店内は昭和30年代の様子。


 
大和屋本店
 1928年に建てられた木造3階建ての大和屋本店。乾物屋です。北海道産の日高昆布、利尻昆布、羅臼昆布、焼津産の煮干し、石巻産や下田産のスルメ・・・乾物ばかりだ。


 
天明家
 江戸時代の大田区にあった農家の家。すごく立派です。名主役を勤めた家らしい。
 屋敷に上がると風車の体験コーナーがありました。無料。それならやってごらん・・・とネコ娘に体験してもらう。ボランティアガイドのおばちゃんから丁寧に教えてもらったら綺麗な風車が完成しました(右)。


 
上野消防署望楼上部
 上野消防署で1970年まで使用されていた火の見櫓の望楼部分。昭和30年代後半からは周囲の建造物が高層化し電話が普及したため火の見櫓は役目を終えたそうです。


 
万世橋交番
 神田の万世橋にあった交番。1923年の関東大震災により大きな被害を受けたが、後に修復。関東大震災以前の万世橋駅は現在の中央線である甲武鉄道の起点として賑わっていたが、万世橋駅―東京駅間が開通したため利用客が減り、1943年に廃止。万世橋交番も廃止となり、休憩所や交通係の詰め所として使われたんだって。二畳の就寝スペースあり。


 
西川家別邸
 東ゾーンの見学を終え、センターゾーンに戻ってきました。ほぼ一周したかな。後少しだけ見学してみる。このでかい家は西川家別邸。西川伊佐衛門という人が接客用ケン隠居所として昭島市に建てたもの。この人は多摩屈指の製糸会社を設立した実業家。超大金持ちってことです。1922年に建てられたこの別邸には吟味された材料が使われているんだとか。



 ということで、江戸東京たてもの園を一通り見終わったのが14:00。9:30に入園して4時間半も見学しました。思ったより広くて盛りだくさんでしたね。

 じゃ・・・と思ったら小金井公園でフリーマーケットが開催されていたので、ちょっと立ち寄ってみました。ネコ娘のおもちゃ、服などを物色しましたがあまりいいものが見つからず断念。なかなか買えないんだよねぇ。

 それでは、小金井公園を出発したいと思います。次は三鷹にある国立天文台に行ってみようかな。



国立天文台 三鷹キャンパス
 15:00、国立天文台三鷹キャンパスに到着。駐車場は有料だったけど、見学は無料。さっきまでは昔の建造物を見てきましたが、今度は宇宙を見てみるか。この三鷹キャンパスは観測をする、というより研究をする場所みたいです。総合研究大学院大学の研究施設で、東京大学大学院理学系研究科附属天文学教育研究センターが同居している、というところ。研究員がたくさんいるところってことか。
 まず最初に訪れたのは第一赤道儀室。東京帝国大学営繕課設計し、1921年(大正10年)に完成した、鉄筋コンクリート造りのドームです。現在は研究用としては稼働していませんが、太陽観察会は随時開催しており(この時も開催中)、最低限の手入れはしているそうです。登録有形文化財。
 口径20センチメートルのツァイス製望遠鏡で太陽黒点のスケッチ観測をしているところ。望遠鏡で太陽を光を左の黒い板に投影しています。すると、太陽の表面の温度の低い部分である黒点が浮かび上がります。

 この望遠鏡は重錘時計駆動赤道儀(ガバナー式)という方式で、自動的に太陽を追いかけるようになっています。っていうか、錘で太陽を追いかけるってどういうこと?
 見学コースを進むと、大赤道儀室(天文台歴史館)に到着。これは1926年に完成したドーム。内部に入ると巨大な望遠鏡がありました。焦点距離10メートル、口径65センチメートルという巨大な望遠鏡。ドームの天井部分は木製です。この望遠鏡で真上を観察するときは下から見上げればよいですが、地平線に近いところを観察しようとすると、見る部分がすごく上になってしまいます。そこで、床全体がエレベーターのように昇降できるようになっていて、観測者が望遠鏡を覗きやすいようにしてあるんだって。
 説明員のお兄さん曰く、この望遠鏡で覗くと富士山の頂上にいる人の顔がはっきり見える、というくらいの倍率なんだって。それって何倍っていうの?って聞くと???って顔をしてました。質問が悪かったかな。
 この望遠鏡は1998年で研究観測から引退したそうですが、故障したわけではないので今でも現役復帰できるように静態保存されているそうです。
 右のガラスは口径16センチメートル、メルツ社製屈折望遠鏡の対物レンズ。1945年の東京大空襲で望遠鏡は焼失したが、焼け跡からレンズだけ回収できたんだそうです。その実物。
 次は展示室へ。超大型望遠鏡TMT計画とかVERA天文広域精測望遠鏡とか、難しいことが説明されている部屋でした。さっぱりわからん。
 これは展示室にある唯一ネコ娘が楽しめそうな装置。渦電流実験装置と書かれています。天体観測に使用する干渉計は揺れないように固定する必要があります。地面に直接固定すると、地面の振動で揺れてしまうので、ワイヤーで吊るそうですが、今度は振り子の周期で揺れてしまう。そこで、磁石の渦電流という現象を使って振り子のように揺れるのを抑えるそうです。磁石は金属との間に渦電流を発生させるのですが、磁石と金属の間の動きが早いほど多く発生し、その動きを止めようとするんだって。
 という難しいことを実験するのがこの装置。磁石と磁石じゃない錘を金属の筒の中を落とすと、磁石は渦電流によってゆっくり落ちていく・・・ということを観察するのです。が、ネコ娘にはそんなことは分からないので、とりあえず磁石を下から上に動かし、上から下へ落とす・・・を繰り返す。後から聞いたら、面白くなかったと。
 中の見学はできないけどレプソルド子午儀室。レプソルド子午儀室は1880年ドイツ製で旧海軍観象台が800円(当時の価格)で購入したもの。月、惑星、小惑星の赤径の決定に使用されたんだって。
 レプソルド子午儀室の先にはゴーチェ子午環がありました。ゴーチェ子午環は子午線上の天体の位置を精密に観測できるように工夫された望遠鏡。子午線面内でのみ正確に開店する仕組みになっているそうです。ゴーチェ子午環は1903年フラン製で、当時の価格で2万円。
 さらに少し奥まで進むと、自動光電子午環がありました。自動光電子午環は1984年から天体の位置を精密に観測するために使われていた望遠鏡。ゴーチェ子午環での眼視観測では観測者の個人差が大きかったので、自動光電子午環で高精度、自動化を進めたそうです。
 現在の自動光電子午環は天文機器資料館になっているようです。
 内部には所狭しと観測機器が並んでいます。天井を見るとゴーチェ子午環と同じような天井になってました。右は展示してあった顕微鏡。天文台と言えば望遠鏡ですが、なぜか顕微鏡もたくさんあるそうです。何に使うんかな?



 こんな感じで約1時間、国立天文台三鷹キャンパス内を歩き回って、見学終了。16時になるとだいぶ薄暗くなってきました。駐車場の横にある「三鷹市星と森と絵本の家」という子供むけ施設にも軽く立ち寄りつつ、帰りの準備に入ろうと思います。



 まずは夕飯の確保だな。駐車場で今夜のお風呂を検索し、その道中にあるスーパーで夕飯のおかずを購入しておきます。ご飯も炊いておこう。



千代乃湯
 17:30、三鷹市内にある千代乃湯で汗を流そうと思います。最近は温泉じゃなくて、銭湯の方が多い。安いところが多いからかな。あと、スマホにしたら銭湯や温泉の検索がものすごく楽。スマホって便利だなぁ・・・。

 入浴してさっぱりして、あとは自宅に帰るだけ。すぐに出発。最寄りの調布ICから中央道にのる。ちょっとだけ西に走って、一番最初に現れた石川PAで夕食にします。
 夕飯はお惣菜3品にキャベツの千切り。クマ兄さんはカップラーメンも追加。あと、ご飯が炊いてあります。お腹いっぱいになる。名物を食べない時は、車中食が経済的。3人で7〜800円くらいに納まるからね。クマ兄さんがコンビニでお弁当を買ったら一人で7〜800円になっちゃう。節約して、たくさん旅行に行こう。



 夕食後、少しだけ自宅に近付いておこうと思います。20時に石川PAを出発。後部座席はベッドモードにしておきます。疲れたらいつでも寝られるように。



 そして、1時間走ったか走ってないか、くらいの時に談合坂SAが現れる。渋滞の先頭になるSAとして有名ですね。じゃ、今日はここで車中泊にしたいと思います。トイレに行ったり、歯磨きしたり・・・22時頃に就寝。おやすみなさい。



談合坂SAの売店
 翌13日、朝は7時に起床。出発の準備をして、朝ごパンを買いに売店へ。ここの売店にはパン屋さんがあって、焼き立てが買えるようです。天井にはゴンドラが動いていて、パン屋で焼いたパンが運ばれています。ホットドッグステーションではゴンドラからパンを取ってソーセージを挟んでホットドッグを出しているようです。この売店、結構面白い。



 8時、それでは富山に向けて出発します。中央道を走っていくと、天気が良ければ八ヶ岳が見えるはずですが、今日は雨が降っていて見えず。

 12時半、上信越道の新井PAまで来ました。売店で何か買おうと思ったんだけど、これといったものが無く車内に備蓄してあったカップラーメンで昼食とする。

 そして、14:40自宅に到着。今回の旅行の走行距離は908kmでした。



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