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京都五社めぐり


2015.7.11



 例年7月は旅行三昧となりますが、今年もいろいろ行こうってことになりました。暑くなってくると涼しい場所に行くか、冷たいものを食べようねってことになります。じゃ、どこに行こうか?7月は京都でしょ!ってことで京都に行くことに。我が家では7月に京都へ日帰り旅行っていうのがとっても多い。今年もそうなりました。ついでに日本三週目でブームになっている御朱印集めもやってみます。



出発
 いつも通りほぼ定時に仕事を終えて帰宅したクマ兄さん。シャワーを浴び、出発の準備を整えて、自宅を出発したのは19:00。

 そして夕飯は、これもいつも通りのコンビニ。ちょっと変わった家族が経営するファミリーマートで夕飯を購入し、車中食とする。

 夕食後、これまたいつものガソリンスタンドで給油。表示は142円だけど、いつもカードで-3〜-4円くらい引いてくれます。

 19:45、それでは出発。5分でいつもの小杉ICに到達。ここから北陸道に乗って西へ走ります。

 21:10、福井県の女形谷PAでトイレ休憩。

 23:30、名神道の大津SAに到着。本日はここで車中泊にしようと思います。ここからだったら京都まではすぐだからね。
 車内で就寝の準備をし、歯磨きをしにトイレに向かいます。大津SAのトイレはきれいですね。お店がたくさん入ったビルになってて中も楽しそう。でも、寝巻の代わりのTシャツと短パンに着替えちゃったから、お店に入るのはやめておきます。

 その代わりに周囲の車をチェック。キャンパー数台確認。でも、三連休じゃないからあんまり多くないね。

 0時過ぎ、就寝。お休み。
 
 翌日、6:30起床。車中泊の車が増えてました。とりあえず、着替えて、トイレに行って洗顔して、車に戻ってコーヒーを淹れ、出発の準備を整えます。

 7:25、出発。ちょっと早い気もしますが、神社は朝早くから開いているからね。平安神宮はすでに参拝できる時間になっていることを確認済み。まずは平安神宮から参拝してみようかな。



平安神宮
 7:45、平安神宮周辺に到着。ところが、平安神宮周辺って駐車場が無いのね。無いというか、あるにはあるんだけど地下駐車場でうちのリラックスワゴン(ハイエースワゴン)では、進入できなかったのです。

 そこで、周辺をウロウロして駐車場を探したら、平安神宮の横にある京都武道センターの駐車場に有料だけど車が停められました。ここからなら平安神宮も近いから安心。朝だから駐車スペースに余裕があります。
 車は武道センターから入って、旧武徳殿の前の駐車場に車を停める。ここから歩いて平安神宮へ。徒歩5分以内。
 8時ちょうど、平安神宮に到着。ここに来るのは中学生の時の修学旅行以来ではないだろうか。ペンギン姉さんと一緒に来た覚えは無いなぁ。時間が早いので應天門(左)に人が入らずに写真が撮れた。應天門の横には伏見の清酒が奉納されてました。松竹梅や月桂冠、黄桜と有名どころがある。日本酒のわからないクマ兄さんでも知ってる銘柄だね。
 重要文化財の應天門をくぐって境内に入る。この中も人が少ねー、ラッキーです。大極殿を白虎楼と蒼龍楼に囲まれていますね。大極殿と白虎楼も重要文化財。手水舎は珍しくクマ(右)。この形は珍しい。
 左は白虎楼。台湾のお寺に造りが似てるかも。そういえば平安神宮の創建は1895年と最近なのです。

 では大極殿にお参りに行きましょう。大極殿は古代の役所の建造物の中で最も重要な建物で、天皇が政務などの重要な儀式を行った場所だそうです。内部に入って参拝する。

 さて、御朱印はどこでもらえるのかな?と周囲を見回すと、大極殿の中におみくじなどを販売しているコーナーがあって、そこで御朱印も頂けたのでした。

 それともう一つ収穫。京都五社めぐりっていうのがあるんだって。玄武・青龍・朱雀・白虎と呼ばれる四神が守る四社と平安神宮の合わせて五社をスタンプラリー的に回っちゃおう、というもの。せっかくなので五社めぐりをやってみようと思います。
 そういえば、平安神宮って京都三大祭りの一つ、時代祭を行う神宮だったよね?たしか10月22日だったかな?見てみたいけど、平日なんだよね。

 では、大極殿を背に、應天門を眺めながら平安神宮から撤収します。15分ほどの滞在でした。

 次は五社めぐりのどこにしようかなー、と思ったんだけど、せっかく京都まで来たので五社以外にもいろいろ回ってみたくなりました。車に戻って軽くスケジュールを考えてみたり・・・。



上賀茂神社
 9時、上賀茂神社に到着。本当の名前は賀茂別雷神社というそうです。世界遺産の「古都京都の文化財」に含まれていますね。北に位置するので玄武かな。
 一ノ鳥居から参拝してみます。芝生に囲まれた長い直線の道を歩く。芝生には桜が点在しています。
 芝生の途中にあった外幣殿(左)。競馬会神事、葵祭などで使われる建物だそうですが、1628年に建てられた重要文化財。右は神馬舎。今日は神馬はいませんでした。
 二ノ鳥居(左)をくぐって境内の奥へ。七夕の短冊がまだ飾ってあったりして、そういう季節なんだな〜、と考える。小学生の時、体育館に用意した竹?笹?に願い事を書いたなぁ。ネコ娘も小学校でやってるのかな?
 左は細殿。1628年に建てられた建物。その前に砂の山(立砂)が二つあります。神体である神山(こうやま)を模したものなんだって。では手水舎で清めてさらに奥へ。
 境内に流れる川は「ならの小川」っていうのかな?小さな橋を渡って、楼門をくぐる。この楼門も重要文化財。なかなか立派な門です。
 楼門をくぐる前、目の前には玉橋が「御手洗川」に架かっています。玉橋は反りを持たせた欄干付きの橋。神事で神官が渡るときだけ使われるそうです。今日は神事が無いので縄で通せんぼ。
 楼門をくぐると高倉殿(右)があります。この先には本殿や権電といった国宝があるそうですが、有料エリアなので我慢。今回は諦めました。お参りだけしておく。
 高倉殿の前から楼門を眺める。なかなか立派だねぇ。でも、鳥居は最初にくぐっただけ、本殿は見られない。拝殿はたぶん細殿。だいぶ変わった構成の神社です。

 変わったついでにおみくじで作った羊をパチリ。
 楼門をくぐり、目の前の「御手洗川」に架かる玉橋を横目に川沿いを歩く。上の橋は片岡橋。これは明治元年に造られたらしい。
 御手洗川沿いに歩くと新宮門があって、その先に新宮社や拝殿が見られました(左)。軽く参拝して定番の御願い事を依頼しておく。新宮社は摂社にもかかわらず重要文化財。この新宮門の目の前には伊勢神宮?の文字。遥拝所だって。ここから伊勢神宮をお参りできるみたい。
 片岡橋の近くに戻ると須波神社(左)というのがありました。癒しの神様なんだって。すかさずペンギン姉さんが参拝。癒し系を目指しているのだろうか?細殿へ戻る途中、御手洗川の上にかかる橋殿の横を通る。夏越大祓(なごしのおおはらえ)の時には橋殿から御手洗川に人形が流されるんだって。
 最後に社務所で御朱印を頂きます。その窓口にあった証明書。トリップアドバイザーからEXCELLENCEを認証されています。人気があるんだねぇ。



 これにて玄武である上賀茂神社の参拝は終わろうかな。



北野天満宮
 9:50、北野天満宮に来てみました。ここは京都五社めぐり関係ないけれど、ネコ娘の学問の神様にお願いをするため立ち寄ったのです。ネコ娘にはこれから勉強をたくさんやってもらわなきゃね。牛の石像はちょっと上を見ているようでした。
 参道を進んでいくと左手に伴氏社と言うのがありました。良く読むと、菅原道真公の母君が御祭神。石の鳥居は鎌倉時代に造られたもので国の重要美術品に指定されているそうです。
 先に進むと牛。撫で牛と呼ばれ、自分の体の悪い個所を撫でた後、牛の同じ場所を撫でると、自分の悪い場所が治るそうです。が・・・牛しか撫でなかった。
 牛は参道の両側にいて撫で放題。北野天満宮に牛の像がたくさんある理由は、太宰府で生涯をとじた菅原道真の遺体を運んでいる途中、車を引く牛が座り込んでしまったので近くにあった安楽寺に埋葬したそうです。ということで、境内のあちこちにある牛は横になって寝ている姿でした。
牛を眺めたら楼門へ。修学旅行でしょうか、中学生?高校生?くらいの集団が登場。ちょっとタイミング悪かったかな〜。でも、北野天満宮だもんね、勉強ができて受験戦争に勝てるように北野天満宮に来るよね。
 絵馬所が左。たくさんの絵馬が奉納されています。やっぱり志望校に合格できますようにっていうものが多いのだろうか。

 絵馬所からまっすぐ進むと三光門(右)。1607年に豊臣秀頼が建立したと伝えられ、国の重要文化財に指定されています。天井に日と月と星の三つの光が彫刻されているので三光門という名がついたそうです。
 三光門を抜けると中庭に出ます。その先には国宝である社殿(拝殿)。ここには藤原道真公が祀られています。社殿は結構派手だよね。振り返ると三光門(右)。三光門も結構派手に見える。
 左が拝殿です。絢爛豪華な桃山文化を今に伝えるものなので、国宝に指定されているんだそうです。では参拝していきましょ。

 その後社務所を訪れて御朱印を頂く。
 社務所から本殿の周りを回って後ろ側に行ってみる。すると、鳥居がたくさんならんでました。これは!稲荷神社だよね?鳥居がものすごく密集しています。参拝しよう。
 前に参拝している人を見ると、変なことをしていました。稲荷神社の周りを回ってます。良く見ると、四面に正面がある。回りながら四回お参りするみたいです。面白いのでやってみました。
 奥地をもう少し散策。文子天満宮というのがあったので、ここも参拝しておく。ここは菅原道真公が大宰府で亡くなって40年経ったころ、右京七条二坊というところに住む巫女多治比文子のところに道真公の神霊が現れ、わが魂を右近馬場に祀れとのお告げがあったそうです。文子はとりあえず自宅に道真公の御霊を祀ったんだって。というのがこの北野天満宮の発祥だそうです。その後、他の霊能者にも同じご神託が相次ぎ、947年に天満宮がこの場所に移されたとか。

 文子天満宮から本殿の方向を眺めると屋根が四つ並んでいて、その威容にすこし驚く。
 北野天満宮の参拝を終え、参道を歩いて駐車場に戻る途中、牛を撫でて帰ります。いろんな牛がいたねぇ。

 あと、北野天満宮の駐車場が無料でうれしい。



下賀茂神社
 平安神宮⇒上賀茂神社⇒北野天満宮と参拝してきて、次は松尾大社・・・と思っていたらペンギン姉さんが下賀茂神社も参拝したい!と。ちょっと戻る感じになっちゃうけど、時間的には余裕ありなので、下賀茂神社へやってまいりました。北野天満宮からは20分くらいで到着。

 10:50、駐車場に車を入れる。神社の西側にあるので本殿にはとても近いんだけど、鳥居をくぐれないのでぐるっと回ってみます。まずは西参道を歩く。あけ橋という小さな橋があって、解説によると橋の下を流れる瀬見の小川を渡ることがお祓いであり、禊だったそうです。その後ご神域に入り、神様にお参りすることが慣例なんだって。祓い清め、身が改まることから「あけ橋」と呼ばれているそうです。
 南側へ周り南口鳥居をくぐって境内に入る。南口鳥居の脇にはお白石というものが展示してありました。お白石は本宮の御垣内に敷き詰められ、神々の降臨を仰いだ古代の磐座の名残を今に伝えているそうです。古来、下賀茂信者の社領地に住む人々は鴨川の河原に出向き、神々の降臨を仰ぐにふさわしい石を見つけ出して、式年遷宮が行われるたびに石の取り替えをしていたそうです。現在は河原から拾うのでなく、遷宮ごとに石を一旦持ち出して三年間のお清めをし、再び戻すようにしているそうです。
 参道をしばらく歩くと楼門が見えてきました。参道の脇にはさざれ石があります。小さな石という意味なんだって。火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石。各地の神社に奉納されています。
 楼門の手前に相生社。縁結びの神様だそうです。めでたいことを「相生」というのはここから始まったんだって。

 では楼門をくぐる。京都に神社は鳥居の代わりに門になっているところが結構あるね。
 楼門をくぐって内部へ。目の前に現れたのは舞殿。葵祭のとき、勅使が御祭文を奏上され東游が奉納される。御所が災害にあわれた時、臨時の内侍所と定められているそうです。という重要な建物らしい。重要文化財です。
 さらに奥へ進むため中門(右)を抜ける。
 中門を抜けた先はちょっと狭く囲まれたエリア。人が多いので余計狭く感じる。言社と呼ばれる小さな社が7つ並んでいます。大国主命の七つの別名ごとに社があるんだって。
 クマ兄さんとペンギン姉さんはうさぎ、ネコ娘はとりなんだけど、三人とも同じ社でした。

 言社をお参りした後、拝殿でもう一度お参りしておきました。順序が正しいかどうかはわからん。






 
 本殿での参拝を終え、中門を出たところ、中門の脇にお白石が積んでありました。中門から舞殿と楼門をパチリ(右)。シンプルだけど重厚・・・な感じ?
 中門の脇に社務所があって、ここで御朱印を頂けるということなので、ペンギン姉さんとネコ娘が行列に並ぶ。御朱印をもらうため、しばらく待たなければならなそうです。
 ペンギン姉さんとネコ娘が御朱印を待っている間、クマ兄さんは周辺を散策。御手洗川の上に架かる太鼓状の橋を撮影したり、御手洗川の上をまたぐように立っている橋殿を眺めたり(右)・・・。橋殿は御蔭祭のとき、御神宝を奉安する御殿。橋殿も21年ごとに解体修理が行われるそうです。

 
 しばらくするとご朱印をゲットしたペンギン姉さんとネコ娘登場。それでは、松尾大社方面へ行きましょう。



昼食
 さて、下賀茂神社から松尾大社へ移動中、お昼ごはんを食べることに。何を食べようかな〜〜〜って言いながら車を走らせていたんだけど、ちょうどココスがあったので入ることに。
 普通だったら全国チェーンのファミレスなんか入らないと思うんだけど、実は我が家、ほとんどファミレスに行ったことがありません。先日、ペンギン姉さんが職場の人と飲み会に行ったとき、クマ兄さんとネコ娘で行ったくらいかな?その時はかなり金額がいってしまったので、二度とファミレスに行くことはない、と思ったんだけど。
 入店してメニュー見て、予想が当たりました。お得なランチメニューがあるだね。そこそこの値段でお昼ごはんが食べられました。常識かもしれないけど。
 左上はクマ兄さんのミックスグリルランチ。790円。ライスは大盛りにしました。右上はネコ娘のコンボランチ690円。左はペンギン姉さんの”洋食屋さんの”ハヤシライスランチ790円。2,000円ちょっとでモリモリ食べました。ランチメニューなら割とお得感あるね。









 
 12:30、お腹一杯になったところでお会計。こういうときはカード払いだね。ごちそうさまでした。



松尾大社
 12:50、松尾大社到着。ここは駐車場が整備されていて、2時間まで無料。鳥居をくぐって境内へ。すぐに楼門(右)がそびえる。この楼門は江戸時代初期に造られたとか。そういえば松尾大社に来るのは半年ぶり。ついこの間来たような気がするけど・・・半年前は御朱印をもらえてなかったから・・・。
 楼門をくぐり階段を上ると拝殿が目の前に。西に位置する松尾大社は白虎ですね。
 でも、最初は身を清めるために手水舎へ。松尾大社は亀。いろいろな形状があるんだねぇ。
 おみくじを結ぶ場所はハート。ネコ娘が大はしゃぎ。松尾大社はお酒の神様ですからね。神興庫(右)にはたくさんの酒樽が奉納されています。社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないと言われているそうです。
 中門の正面にある拝殿。なぜ、ど真ん中に拝殿があるのだろう、と疑問に思ったのは内緒。この拝殿は大祓式などの神事で使われるそうです。ということで、参拝は本殿へ。その後、授与所で御朱印を頂きました。
 小川を眺めて少し休憩。ネコ娘よ・・・落ちるなよ。
 松尾大社はお酒の神様だけあって、お酒の資料館っていうのもありました。もしかして、エアコン効いてるかな?とちょっと期待して入ってみましたが、まったく涼しくなかった。中の展示はお酒の造り方やお酒にかかわる伝説など。
 岡山県の民俗芸能「備中神楽」には、スサノヲノミコトがヤマタノオロチを退治する演目「大蛇退治」があり、その一幕に、松尾大神がスサノヲノミコトから大蛇を酔い潰すためのお酒を依頼され、酒造りをする場面があるそうです。そんな展示。



 これにて松尾大社参拝は終了。次行きます。



城南宮
 はい、やってきました、城南宮。松尾大社からは30分ほどで到着(13:40)。朱雀です。城南宮は初めてきました。京都南ICのすぐそばにあるんですね。
 鳥居をくぐって境内へ。この城南宮は明治維新を決定づける戊辰戦争の発端となった鳥羽伏見の戦いが始まった場所なのです。1868年1月3日、都を目指して鳥羽街道を北上する旧幕府軍は、ここ城南宮から南南西500mの地点に到達、都に達するのを阻止する薩摩郡と長時間睨みあいになりました。夕方、強行突破の構えを見せると、薩摩軍の大砲が轟き、両軍が衝突、激戦になったそうです。4日、5日と戦いは続き、錦の御旗は鳥羽街道を南に進み、新政府軍の勝利が決定的になったそうです。
 まずは前殿(左)へ。まずはいつも通りお参りします。城南宮は本殿の周囲をぐるりと回れるようになっているようですので、本殿の後ろ側へ回ってみる。すると、神主さんが除草剤を撒いていました。かなり丁寧に。
 摂社もきれいに並んできました。本殿の後ろ側をこれだけ整備しているところってなかなか無いんじゃないかな?
 参拝後、社務所で御朱印を頂きました。

 その時、お巫女さんの頭に大きな髪飾りが付いているのに気付きました。ちょっと遠くから気付かれないようにパチリ。罰は当たらないよね?



 14:00、城南宮の参拝終了。では、最後の蒼龍、八坂神社に行きますよ。

 八坂神社近辺までは20分ほど。だけど、駐車場が無いねぇ。うちのリラックスワゴンは車高が2,105mmもあるので地下駐車場などには入れず。近辺をウロウロしてコインパーキングを見つけました。偶然、八坂神社のすぐ近くでした(15:00)。



八坂神社
 見つけたコインパーキングは八坂神社の南楼門のすぐ近く。こりゃラッキー。石鳥居をくぐり、南楼門(右)から境内に入ります。
 南楼門を抜けると目の前に舞殿が見えます。この舞殿には御輿が展示してありました。ちょうど祇園祭の時期なので、いつでも出動できるようにしてるのかな?
 さすが八坂神社。お参りするにも並ばなきゃいけません。外国人もたくさん参拝していました。並ぶと言っても2,3分だけどね。本殿にお参りしたらご朱印をもらいましょう。
 社務所にいってご朱印を頂く。ここも列に並びます。ご朱印をもらった時、一緒に又旅舎朱印など末社の御朱印ももらいました。もらうとき、もう参拝したのですか?と聞かれたので、これから参拝します!って答えると、遠いですよ・・・と。がんばります。
 西楼門から出てみる。ここは記念撮影のメッカ。修学旅行生や訪日外国人の団体さんが記念撮影して大混雑。がんばって人ごみを抜け、四条通へ向かいます。



宇治金時
 四条通を西へ。八坂神社の末社が四条通沿いにあるはずなのです。四条通も人が多くて歩くのが大変。疲れてきたし。ネコ娘がかき氷を食べたいってうるさい。どこかで宇治金時でも食べるか・・・。
 お店を探してあちこち眺めていたら、「お迎え提灯」ってポスターを見つけました。頭につけているのはなんだ?
 何軒かお店を見て、月ヶ瀬というお店に決めました。お店の前のサンプル見て決めちゃった。店内にはすぐに入れました。奥の調理場ではかき氷がガリゴリ作られています。
 ペンギン姉さんは宇治金時でクマ兄さんは宇治しるこ。金時としるこの違いは、粒あんかこしあんか。クマ兄さんはこしあんの方が好きなのです。ペンギン姉さんは粒あん好き。ネコ娘はミルクしるこ(右)。いずれも白玉がついてます。固くならないように別盛り。白玉は柔らかいし、かき氷はフワフワ、餡子は甘くてとても美味しかった。体も冷えるね。



末社
 せっかくご朱印もらったんだから・・・という動機で末社を探す。八坂神社の社務所に貼り出してあった地図を見ると、京都タカシマヤの周辺みたいなんだけど・・・。駐車場の警備のおじさんや交通整理をしているおじさんに聞いてみましたが、だれも末社のことは知らない。困ったなぁ・・・と四条通をウロウロしていたら、突然八坂神社御旅所が現れました。京都タカシマヤの脇にありました。祇園祭のなかの神幸祭で3基の御輿が御旅所を目指してやってくるそうです。この御旅所の前で最高潮に達し、見物客も一緒に盛り上がるんだって。
 冠者殿社もすぐそばにありました。ここの御祭神は八坂神社と同じですが、荒魂を祀っているそうです。荒魂とは和魂と対をなすもので、神霊の穏やかな働きを和魂、猛々しい働きを荒魂というそうです。もとは烏丸高辻にあった八坂神社大政所御旅所に鎮座していたそうですが、御旅所が現在地に移転したとき樋口高倉の地に移され、さらに慶長のはじめに現在地に移されたそうです。

 ということで、ご朱印を頂いた末社の参拝も終了。無事、京都五社めぐりを完了しました。そろそろ戻るか。
 新京極だって。ここってお土産屋さんがたくさん入った商店街だよね?クマ兄さんが中学生の時、修学旅行でここに入ったぞ!?そして、地元の高校生に訛ってるって笑われたぞ!いまでは栃木訛りはときどきしか出ません。
 キティちゃんのお店?が本日開店だったそうです。偶然通りかかり、限定品のうちわをもらいました。クマ兄さんは恥ずかしいからもらわなかった。



 
 祇園四条まで戻ってきました。京都四條南座の前です。興味無かったけど、一応調べてみたら劇場なんだね。歌舞伎とかコンサートとか。でも、入ることはないだろうな。
 その向かいに井筒八ッ橋本舗があります(右)。ちょうどお土産に八ッ橋を買っていこうっていう話をしていたから、このお店で買っていくことにしました。ちょっとだけど試食もできた。うまいね。
 この井筒八ッ橋本舗周辺には北座というのがあったそうです。「このあたり北座跡」っていう碑がありました。1670年以降、鴨川の両岸に新堤が築かれ、河原は「新地」となり、芝居街・茶屋街ができたそうです。17世紀末にはこのあたりに7件の芝居小屋があったんだって。そのうちの一軒が北座って言うらしい。
 京都にもこんなお店があるんだね。壹銭洋食っていうお店っぽい。大阪にありそうなお店だけど・・・。外国人は興味津津でした。
 17:05、八坂神社に戻ってきました。結構歩いたね。それじゃ、そろそろ富山に帰るとしますか。

 駐車場に戻って出発の準備。時間も早いし、このまま富山に帰っちゃう?夕飯は車中食にしよう。

 大まかな帰宅ルートを決め、17:20出発。

 国道1号線を東へ。山科まできたら、ちょっと曲がって西友へ入る。駐車場がわからなくて、付近をグルグル回っちゃった。それでも無事夕飯のおかずをゲット。それでは、ご飯を炊きながらしばらく走りますよ。

 西友を出発してすぐ、京都東ICから名神道に乗り、東へ進む。みんな夕方の宇治金時がお腹に残っているので、夕飯はしばらくお預け。米原JCTで北陸道に移り北上。

 19:50、そろそろお腹が空いてきた、という声があちこちから聞こえ始め(後ろの席と助手席ですが)、刀根PAで夕飯とすることにしました。



夕飯
 夕飯のおかずは、夕方西友で買ったお惣菜。ご飯は車内で炊きました。ま、京都っぽい食材は無いけれど三人で1,000円未満でお腹いっぱい食べられるので、車中食はやめられない。ごちそうさまでした。



 その後は走って走って、眠くなる前に富山まで走り続ける。22:30自宅に到着。今回の京都旅行は少なめの663kmでした。




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