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一日目 洛北

2011.10.8


 一年ぶりの京都、去年は湯豆腐食べに行ったなぁ・・・。その後、舞鶴までドライブしたなぁ・・・。今回は何があるかな?楽しみな京都だ。紅葉はまだだけどね。

 ということで、今回もいつも通り3時起きの3時半出発。順調に北陸道→名神道で京都へ。京都南ICを降りて国道1号線で北上し松尾方面へ。そういえば、京都南ICから北上する道、先日、新大阪から金沢への高速バスに乗ったとき、京都駅に立ち寄るために走った道だな〜なんて感慨深かった。


鈴虫寺
 今日最初に来たのは鈴虫寺。すぐ近くに苔寺(西芳寺)もあるのですが、こちらは往復はがきで申し込みしなきゃ参拝できないとかめんどくさい。鈴虫寺も来たことなかったので前から来たかったお寺なのです。ということで朝一からやってきました。
 苔寺の有料駐車場に車を停めると、その横には「かぐや姫」って看板の御殿がありました。かぐや姫御殿いうらしい。竹取物語の舞台といわれる京都の松尾に長野清助という人が建てた建物だそうです。現在は、親族が占いの館にしているとか・・・。
 かぐや姫の脇道を通って鈴虫寺へ。かぐや姫の竹が覆いかぶさってくるように伸びてきてます。
 鈴虫寺の入口に到着。この階段を上っていくと鈴虫寺。緑の葉の茂る階段を上っていきます。9:10でした。
 鈴虫寺の門に到着するとすでに二十人くらいが並んでいました。お寺に参拝するのに並ぶのか?なんで?
 どうも順番で中に通されるようです。入口で300円くらいだったかな、お茶代を払います。
 建物の中に入ると合宿所の食堂的な部屋に通されます。お茶とお菓子が並んでいて順番に並んでいきます。お茶はちょっとぬるかった。
 お菓子には「寿々むし」って書いてありました。すずむしって読むのかな。ちょっとしか甘くないお菓子。大人向けだな。このお菓子とお茶をいただきながら住職の説法を聞きます。全国から住職の説法を聞きに来るほど人気らしい。たしかに上手だった。冗談なんかも交えながらね。鈴虫寺独特のお守りの使い方なんかも説明してくれました。
 住職の説法が終わったら解散。部屋の一番前に虫籠が並んでいて、その中に鈴虫がたくさん入っていました。スズムシは幼虫になると二カ月ほどで死んでしまうそうですが、ここ鈴虫寺のスズムシは前の前くらいの住職が工夫して、一年中成虫がいるような飼育方法をあみだしたんだそうです。
 説法が終わると庭を自由に散策できます。自由に散策できるって言っても狭い小道を歩くので自然と前の人の後をついて行くことになり、順路に従って歩くような感じです。庭を抜けると京都市街が一望できる見晴らしのいい場所にやってきました。右はネコ娘が京都を眺める絵。
 では、戻ります。庭を歩いて行くときのこの山みたいな建物あり。気にせず脇を通過。この鈴虫寺は山の中腹を切り開いて建てられたみたいですね。寺社の裏も山の斜面になっていました。
 鈴虫寺の入口付近にいるのが名物?のわらじを履いたお地蔵さん。お地蔵さんにお願い事をするときにはちゃんと自分の住所を心の中で唱えなければなりません。ちゃんと唱えておくと、お地蔵さんが自分の家に来て願いをかなえてくれるそうです。でも、あまり無茶な願いはダメなんだって。住職が言ってた。
 ということで鈴虫寺の見学終了。なかなか面白かった。木々に囲まれたお寺で森林浴もできました。
 帰り道、カマキリ捕獲。カマキリを捕まえたのは何年振りだろう。子供の時以来だな。捕まえるのにちょっとビビった。



 では、ここから洛北へ移動します。今回は有名どころをおさえるつもり。でも、ネコ娘は初めての場所にします。



金閣寺
 鈴虫寺を10:20頃に出発。京都市内をだらだらと走り金閣寺へ。金閣寺にはちょうど11:00頃に到着。駐車場に車を停めて見学へ。駐車場は観光バスが盛りだくさんでした。やっぱり金閣寺は外国人にも人気のスポットらしい。
 天気が良いので、ちょっと紅葉が始まった木々が映えますね。右は石を彫った船。何の由緒があるんだろう・・・。
 では、唐門の脇で参拝料を払って内部に入ります。大人は400円。ネコ娘は無料でした。外国人もいっぱいの唐門でした。
 じゃーん!金閣寺です。臨済宗相国寺派のお寺なんだそうです。1950年、放火により国宝だった金閣寺が焼失。1952年に再建されたそうですが、国宝の指定はなくなり重要文化財になったそうです。でも、世界遺産には登録されたんだって。
 1987年には昭和の大修復が行われたらしい。創建当時姿になったんだって。

 こんな贅沢な金閣寺を作ったのは歴史の授業でも出てくる足利義満ですね。
 義満は西園寺家からこの地を譲り受けた後、超贅沢な庭園と建物を作ったのです。その頂点がこの金閣寺。

 義満は38歳で自由な生活のために、将軍としての仕事を義持にまかせるために出家。その三年後、この地に贅沢な楽園を作るための工事を開始。そして、死ぬまでここで暮らしたそうです。
 龍門の滝。龍門の滝を鯉が昇りきると龍になるんだって。滝の下に置かれている石は、その鯉に見立てて鯉魚石(りぎょせき)。
 何かの像に向かってみんな小銭を投げていました。真ん中の石のお皿に入ると良いことあるみたい。ネコ娘、二円投げましたが入らず。残念。
 夕佳亭というのがありました。お茶を飲む家だそうです。後水尾上皇の為に作らせたとか。夕日に映える金閣寺が良いらしい。
 ということで最後は不動堂。実は金閣寺境内に現存するもっとも古い建物で、本尊は弘法大師が作ったとされる石不道明王像。1573年から1592年の間に建てられた模様。そんな立派な不動明王像があるなんて知らなかったからお土産屋さんにトラップされてちゃんと見なかったよ。



おばんざい
 京都に来るとおばんざいを食べることが多いかも。食べ放題のお店が多いからかな。今日のお昼も金閣寺の目の前にあった錦鶴というお食事処に入ってみました。
 てんこ盛り(左上)、普通盛り(右上)、小盛り(左)はそれぞれの体のサイズにあってますな。

 ビュッフェ方式なので冷たいものが多いですが、温かいものもあります。最近、クマ家ではおからがマイブームなのですが、ここで食べたおからはかなり甘かった。うちのはあまり甘くないんだよね。参考になる。
 茶そばみたいだけどちょっと違う。茶うどんだって。もちもちした太めの麺で美味しかった。お茶の風味はあんまりしなかったかな。
 デザートもしっかりいただきました。お腹いっぱいになった。夕飯はちゃんと食べられるかな?
 終盤に差し掛かった時、外国人の団体客が入店。大人から子供まで親戚一同様って感じ。一気に店内が騒がしくなりました。みんな、おからやひじきなど食べられるものなのか?と覗きこんでは諦める。エビのてんぷらや唐揚げばっかり食べてました。アメリカ人?フライ系ばっかり食べてたからな。お父さん的存在のおっさんだけ、やたら煮物などをお皿に盛ってました。おばちゃんもこのおっさんに、これ何?みたいに聞いてたし。おっさんだけ日本に慣れてる感じ?それなら教えてやれよ。
 しかも・・・このお店には外国人の店員さんもいたんだけど、まったく説明してあげてなかった。いらっしゃいませ〜がかなり上手な外国人の店員さん。こういうときの為にいるんじゃないの?

 と、なかなか人間観察も面白かったお店でした。



龍安寺
 おばんざいでお腹いっぱい。午後はちょっと歩いてカロリー消費しないと・・・。お金の節約も兼ねて仁和寺まで移動して、仁和寺の駐車場に車を止めます。そして、龍安寺まで歩いて移動。近いからね。15分くらい歩けばいいだけです。
 龍安寺の境内に入る山門で参拝料を払う。でも、参拝券が必要になるのはずっと先。まだしばらく、無料で見て回れるようです。
 境内に広がる鏡容池(きょうようち)。平安時代にはこの池に龍頭の船を浮かべて貴族が遊んだそうです。優雅すぎる。
 鏡容池には小さな神社がありました。これも平安時代からあるのかな?橋はだいぶ立派だったけど。
 鏡容池を軽く見て回った後、メインスポットの寺院へ。
 庫裡から入場。龍安寺はここからが目玉です。参拝券もここでチェック。しかも、ここでは参拝券は販売していない模様。山門まで戻らないといけないのかな???



 龍安寺の目玉が石庭。方丈庭園で特別名勝にも指定されているそうです。幅22メートル、奥行き10メートルの庭に白い小石を敷き詰め、15個の石を配置した枯山水の庭園です。どこから見ても、石が重なって15個すべてが見えるのはこの写真を撮った場所だけ、らしい。この場所が方丈の中心だとか、14個しか見えなくすることで、15個の完全さを隠しているとか(物事は完成した時点から崩壊が始まる、という考えから)、いろいろなことが言われているそうです。難しいなぁ。
 10分くらいのんびり見学しました。
 方丈の襖絵には龍が書かれていました。皐月鶴翁というひとが書いたらしい。北朝鮮の金剛山の襖絵もあるんだって。写真の手前の襖絵のことかな?
 竹筒から水が注がれて四角い穴に水がためられているのが、蹲踞(つくばい)って呼ばれる石らしい。石庭の石が一度に14個しか見ることができないことを不満に思わず、満足する心を持ちなさい、という戒めが込められているとか。意味分からん。
 ちなみにこの蹲踞(つくばい)は水戸光圀(水戸黄門)が寄贈したものなんだって。でも、これは複製。本物は大事に保管されているとか。
 方丈を先ほどの反対側から見たところ。広いんだけど入室禁止。
 石庭も見たし満足満足。では、鏡容池の反対側を歩いて戻りましょうかね。
 鏡容池の縁を歩きながら山門のほうへ。天気が良いので気持ちよく散歩できました。池には蓮?の葉が広がり、ピンク色の花が咲いて気持ちいい。マイナスイオン浴び放題。



仁和寺
 龍安寺から仁和寺まで再び15分ほど歩いて移動。一番南側の仁王門から境内に入ってみます。高さは18.7mもあってかなり立派。タクシーがいなければよかったんだけど。
 左が吽形で右が阿形。口をあけているほうが、あーって言っているみたいだから阿形って覚えればいいらしい。二人の息がぴったりなので阿吽の呼吸とか阿吽の仲っていう例えがあるんだって。覚えとこ。
 仁王門をくぐって中門を見たところ。広い砂利の敷かれた道がまっすぐに伸びています。でも、まずはまっすぐに行かずに左に曲がって本坊表門をくぐります。
 大人ひとり500円の拝観料を払って御殿入口から内部に侵入。本坊表門から入ったすぐのところには白い砂を敷いた庭に松の木の枝が伸びて地を這っているような松の木が植えてありました。
 入口からはいり、鍵型の廊下を歩いて行くと最初にたどり着くのは白書院。この建物は1890年に再建されたもの。1887年に仁和寺御殿が焼失してしまったそうです。この白書院の襖絵は福永晴帆という人によって1937年に書かれたんだって。松の四季が書かれているそうです。
 白書院の廊下から眺める南庭が良い感じ。白い石を敷きつめた庭はきれいに整えられてスジまで書かれています。歩きて〜。雪が降って誰も歩いていない校庭に、一番最初に足跡を付けたい感じ。真ん中の門が勅使門といって、1913年(大正2年)に作られたんだって。唐破風です。
 白書院の隣の宸殿(しんでん)に移動すると北庭があって、この景色がまた素晴らしい。宸殿の廊下にはたくさんの人が座って北庭を眺めていました。クマ兄さんとペンギン姉さんも歩き疲れたのを癒すため座って眺める。うーん、ここはなかなか良いぞ!

 しばらくするとネコ娘は飽きてしまって付近を散策。でも放置。楽になりました。

 北庭は池泉式といわれる庭園なんだそうです。南庭には池が無かったから対比されるらしい。

 ここは有料エリアだけど一見の価値ありだね。
 一回り白書院→宸殿→黒書院→霊明殿と見て回って御殿入口に戻ってきたらチョウチョがいた。アサギマダラと思われます。ヒラヒラ飛ぶ姿が優雅でした。
仁王門を北側から眺める。デカイ。
 では少し北のほうへ歩いてみます。五重塔があるはずなんだよね。北庭から見えたし。仁王門からも見えた小さな門をくぐって・・・と思ったらこの門も重要文化財らしい。中門(ちゅうもん)っていって、仁王門と金堂の中間に位置し、伽藍中心部への入口的な門。1640年ごろに建てられたようです。
 中門を通って右手にあるのが五重塔。1644年に建てられたそうです。上から下まで各層の幅にあまり差が無いのが特徴なんだって。東寺もこんな感じ。そういえば、東寺の五重塔も良かったなぁ。そういえば東寺の五重塔も1644年再建じゃなかったかな?
 金堂。これは国宝です。仁和寺の本堂なんですね。五重塔よりも古くて1596〜1615年に造営され、1624〜44年に移築されたそうです。当時の宮殿建築を伝える現存最古の紫宸殿として国宝に指定されているんだって。内部には阿弥陀三尊像や四天王像といった国宝も保管されている、らしい。
 金堂から西へ歩くと鐘楼。重要文化財。袴腰式と呼ばれる建築様式。袴のような板張りの多いが特徴です。これも1644年建立。
 観音堂。これも重要文化財。これも1641〜1645年に建立。千手観音菩薩や不動明王・降三世明王などが安置されているそうです。
 仁和寺は886年(仁和2年)に光孝天皇の命によって建て始められ、宇多天皇によって888年(仁和4年)に落成したそうです。室町時代には少し衰退し、応仁の乱(1467〜1477年)で伽藍は全焼してしまったそうです。が、徳川幕府によって伽藍は再整備されたとかで、いろんな建物が1640年ごろ建立、となっているようです。
 仁和寺を見て回るだけで一時間かかってしまった。疲れた〜。ネコ娘も暑い、喉渇いた、と大騒ぎ。車に戻れば飲み物あるんだけど、自販機で冷たい水を買って飲ませました。美味しいか?

 当初の予定ではこの後、妙心寺を見に行くつもりだったんだけど体力的にちょっと無理かな、という判断で次回のお楽しみにしました。

 妙心寺をパスして河原町へ移動。ここで、ネコ娘のランドセル購入先として検討中の土屋鞄へ。見て、背負って、いろいろチェック。候補としてはまずまずかな。

 ネコ娘も元気が出てきたみたいなので、京都の定番、清水寺へ行ってみます。



産寧坂
 清水寺に一番近い京都市市営駐車場に無理やり車を入れ、清水道と呼ばれるお土産屋さんの並ぶ参道を登っていきます。すぐに産寧坂に。ここは観光客がたくさん歩いているのですぐわかるね。お土産屋さんも多いので、漬物屋に入って漬物をつまんだり、煎餅をつまんだり・・・。楽しいねぇ。人が多いけど。
 もうすこし清水寺とは反対の方向へ歩いてみます。この先には八坂の塔があるはず。
 ようやく八坂の塔が見えてきた。法観寺というお寺の中に八坂の塔があるらしいんだけど、八坂の塔以外に目立った建物がないので、八坂の塔ばかりが有名になってしまった、という法観寺。いつも夕方に来るので内部に入ったことがありません。
 もうすこし八坂の塔に近づいてみた。この近辺のランドマークになってるんだね。
 八坂の塔の前で記念撮影。時間は17:15。まだまだ観光客はたくさんいて、どうしても写真に他人が入っちゃう。
 八坂の塔の裏手には変な人形が並んだお店がありました。気持ちわる。売り物のようです。店の中にはいる勇気なし。
 では、清水寺に行ってみますか。産寧坂をもどり清水寺までのんびり歩きます。途中、店内で八つ橋を作っているところが見学できるお店があったので、試食しつつ見学。おばちゃんたち、忙しすぎてちょっと殺気立っていたので愛想もよくない。といことで、そそくさと撤収。



清水寺
 やっぱ、京都に来たら清水寺に来ないとね。日も傾いてきてオレンジ色になってきた寺院が良い感じ。

 まずは仁王門から入っていきます。この仁王門も応仁の乱で焼失したんだって。15世紀に再建。もちろん重要文化財。

 三重塔の脇を通り、経堂(左上)の横を通って、本堂へ。

 経堂(重要文化財)は平安時代、全国から学問僧が集まる講堂として使われていたそうです。

 本堂に入ってすぐにある出世大黒天像にお参りして、定年まで職を失いませんように・・・とお参り。無理なお願いはしないから、衣食住には困らないようにしてねってお願いしておきました。

 大黒さんスタイルです。
 清水の舞台。やっぱりここは京都を代表する名所だね。日本人も外国人もたくさん来ていました。

 この舞台の高さは約12m。しかし、1694年から1864年の間に飛び降りた234件の調査によると生存率は85.4%だったとか(ウィキペディアより)。人間って意外と頑丈なんだね。
 阿弥陀堂で軽くお参りして、隣の奥の院へ。ここからは清水の舞台がきれいに見えるはず。と思ったら修復工事中で清水の舞台が良く見えない。
 奥の院を少し過ぎたところから清水の舞台がある本堂が良く見えました。三重塔もライトアップが始まった見たい。夕焼けきれいだなぁ。
 京都市街地も光が灯りはじめました。京都タワーがろうそくみたいに見えるね。
 あっという間に日が落ちて、三重塔のライトアップがきれいです。仁王門と三重塔をなんとか手持ちで撮ってみました。この時間(18:00ちょうど)になると観光客もだいぶ減ってきたね。


 今日の観光はほぼ終わり。あとはお土産屋さんを物色しつつ駐車場に戻るのみ。いつも通り、八つ橋をお土産に買っておきました。試食もたっぷりいただきました。
 駐車場に戻る途中、すり身あげのお店を発見。美味しいんだよね〜。買っちゃおう!ってことで一人一本購入。
 ペンギン姉さんはタコだったかな。ネコ娘は???。クマ兄さんはシソ。みんな大満足。お昼ご飯が多くて、まだあまりお腹すいていなかったのでちょうど良い夕飯になりました。



 では、今日の観光は終了。

 お風呂は伏見にあるスーパー銭湯「伏見 力の湯」に。清水寺からは30分ほどの距離でした。露天風呂だけ能勢から温泉を持ってきて入れているみたいです。ちょっとぬるい。でも、さっぱりして気持ちよかった。小さな銭湯で地元の人ばっかり、みたいなことも無かったしね。



 お風呂でさっぱりしたら今日のお宿に行きましょうね。今日のお宿は道の駅「びわ湖大橋米プラザ」で車中泊。到着するとなんとも大盛況。朝からバス釣りする人、サイクリングする人、キャンプを楽しんでいる人、ちょっとヤンキーっぽい人、などなどで駐車場は満杯。なんとか端のほうに場所を確保しホテルセレナをセッティング。寝るところは確保できた。トイレが汚いのには参ったけど・・・。でも、疲れておやすみなさい。




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