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二日目 湖西

2011.10.9


 今日は琵琶湖の西側を観光します。琵琶湖の西側は何回か仕事できたことがあるんだけど、じっくり観光したことは無かったんだよね。まだ、お金が無くて高速道路も割引が無かったころ、京都に行くのに深夜走ったことは何回もあるんだけど。今日はじっくり観光します。


浮御堂
 7:00ごろ起床。道の駅「びわ湖大橋米プラザ」の駐車場はすでに人であふれています。ジャージ姿でトイレに行くと、信じられないような汚さ。今まで見た道の駅の中でも一番汚い。道の駅の管理者が悪いんじゃなくて、使う人が悪いんだけどね。びっくりした。
 とりあえず、パッパッと用を足し、ネコ娘は障害者用のトイレで用をしてもらい、さっさと着替えて出発します。といっても、まずは朝食の調達。近くのコンビニで飲むヨーグルトなどを購入。約15秒で朝食を終了し出発です。ネコ娘やペンギン姉さんは車が走り出してからも食事できるけどね

 で、最初に訪れたのが浮御堂。ここはクマ兄さんが旅の参考にさせてもらっているYAMAさんの日本走覇でよく紹介されているので来てみたかったんです。
 YAMAさんはお金を払わずに浮御堂を見ることができるスポットを発見していますが、ペンギン姉さんとネコ娘を連れてその場所を探すとなるとクレームが来る可能性が高いので、素直にお金を払って見学します。
 ここは近江八景の堅田落雁としても知られているところ。昭和9年に台風で壊れてしまい、昭和12年に再建されたものだそうです。
 浮御堂は橋を渡って堂の周りを一周することができます。内部には1000体の阿弥陀仏像が奉納されています。




 浮御堂の周りをまわってみます。バス釣りのボートがたくさんいた。
 琵琶湖側に回ってみると、こちらにも戸があってお参りできるようになってました。どっち側が表なのか分からないね。なんて、のんびり浮御堂を見ていたらおばちゃん集団がやってきました。何の集団なのかわからないけど、こんな狭い所に一度に来るなよなー。



白髭神社
 浮御堂から北へ約20km、国道161号線沿いの白髭神社に到着。ここは全国に位置する白髭神社の本社。琵琶湖畔にあるので「近江の厳島」って呼ばれているんだって。
 本殿は豊臣秀吉の命で1603年に建立されたもので、桃山時代特有の建築だそうです。国の重要文化財にもなっています。左写真の拝殿は明治12年に建てられたもの。本殿の裏手には若宮神社、階段を上っていくと上の宮があります。

 と、この辺りでネコ娘が「お腹が痛い〜」と。症状から察するに、お腹が空きすぎた、ということみたい。ここでいったん白髭神社の見学を中止し、国道161号線を南下してコンビニへ。ここでお弁当を買ってちょっと早めのお昼ご飯にします。

 実は、この日は朝食を抜いてホットドックを食べるつもりだったんだよね、風月堂の。だけど、ワゴン車見つけられなかった。ペンギン姉さんに携帯で調べてもらったりして、大体の場所は分かったんだけど、どうしても見つけられず。この日は出店してなかったみたいなんだよね。
 それで、朝食をほとんど食べないでドライブしてたから、ネコ娘が空腹すぎてお腹が痛くなったというわけ。

 コンビニの駐車場でご飯を食べてから、再び白髭神社に出動。見学をやり直しします。
 階段を上がると三つの社が並んでいます。手前から豊受大神宮、天照皇大神宮、八幡大社。灯篭には葉っぱとその上に木の実が置いてありました。子供には手が届かない高さなんだけど・・・。
 この近辺には紫式部の歌碑や与謝野鉄幹・与謝野晶子夫妻の歌碑がありました。有名な人が訪れた地なんだね。
 さらに山の斜面を登っていくと小さな社が四つ並んでいます。さらに登っていくと・・・岩が祀られていました。この横にある社(写真なし)は岩戸社と呼ばれていて天岩戸を祀っているらしい。岩のほうは天岩戸なのかな?
 岩戸社から降りてきて、国道161号線を渡って湖中鳥居を撮影。湖岸の階段に座ってのんびり琵琶湖と鳥居を眺めている人がたくさんいました。何見ているんだろう・・・。



鵜川四十八体石仏群
 白髭神社から北へ数キロ、国道161号線から外れる細い道を入ったところに鵜川四十八体石仏群があります。これは1553年に近江の守護職で観音寺城主であった六角義賢が亡き母を弔うために作らせた、といわれています。ここには33体しかなくて、大津市の慈眼堂に13体が安置されているそうです。残り2体は行方不明。
 石仏群の裏にはお墓がたくさん並んでいるので、雰囲気的には観光スポットって感じじゃないかも。でも、天気が良ければ見学も大丈夫な雰囲気です。暗くなると別の意味で盛り上がってくるかもね。



熊川宿
 午後は近江今津から竹生島に行くつもりなんだけど、予定より時間が余ってしまったのでちょっと足を延ばして熊川宿を見学することにしました。ここって福井県なんだね。
 道の駅「若狭熊川宿」に車を停めて、熊川宿の街中を散歩しようと思います。お散歩なのでペンギン姉さんは出動拒否。車中でお留守番です。ネコ娘は強制連行。
 歩き始めてすぐ、宿場町の端のあたりに熊川番所がありました。番所っていうのは江戸時代に交通の要所に設置されて、通行人や運搬物の検査・徴税を行った施設。小さな施設ですが江戸幕府直轄の組織で権限はなかなか強かったようです。鯖街道と呼ばれるこの道で税金をがっぽり稼いでいたのかな?
 とことこ歩いていたら椎茸屋さんがありました。原木椎茸って書いてあった。肉厚の椎茸です。美味しそうだったけどちょっと離れた所から眺めるだけ。
 熊川宿は小浜と今津のほぼ中間にあって、鯖街道で一番栄えた宿場町なんだそうです。漆で塗られた壁が特徴で、重要伝統的建造物群保存地区に指定されています。
 ある家の脇には大きな岩が埋め込まれていました。車が突っ込んでも大丈夫なくらい大きな岩。ここが宿場町として栄えていたときからあるんだろうね。子守り岩っていうそうです。
 工事中の建物があって、標識を見ると伝統的建造物群保存地区保存修理事業って書いてありました。改修工事だか修理高するのにも許可がいるみたい。
 熊川宿滞在は約50分、そろそろ出発して近江今津に行く時間です。あまりゆっくり熊川宿の町並みを見学できなかったけど、お散歩できて気持ち良かった。



 では、近江今津に向けて出発。国道303号線を東に走れば、約35分で今津港に到着。



琵琶湖汽船
 琵琶湖汽船の今津港に来たんだけど駐車場がどこか分からない。係のおじさんに聞くとここから100mほど近江今津駅のほうへ行ったところにあるとのこと。そちらにもちゃんと係の人がいたのですぐにわかったよ。
 今津港の観光船乗り場で予約していることを告げるとちゃんと窓口に伝わっていました。琵琶湖汽船のHPに予約のサイトが無かったので、直接メールしておいたのです。返事はちゃんと返ってきたけど、窓口にちゃんと伝わっているか不安だったんだ。
 窓口で切符代を支払い、15分ほど待合室で待っていると竹生島から船が帰ってきました。この船に乗って竹生島に渡るみたいです。
 乗り込んだのは「べんてん」。二階建ての船で、二階に行ってみると向かい合わせの席が空いていました。ゆっくり6人掛けのボックスを3人で使っちゃいます。
 最高速力23ノット。なかなかの俊足です。今津港があっという間に見えなくなりました。
 竹生島までは25分の船旅。船の速度も速いのであっという間に竹生島が見えてきました。
 見えてきた竹生島。船で上陸するのは島の南側のようです。北側はカワウやアオサギの生息地になっていて、糞害が発生するほどたくさんの鳥が住んでいるらしい。
 ということで、今津港を出港してちょうど25分、竹生島港に到着。今日のメインスポットはここだ!
 竹生島港は結構大きい港でした。今津港より大きい。竹生島に来るには今津の他に長浜、彦根、マキノ、海津大崎などから来ることができるようです。



竹生島
 竹生島に滞在できる時間は75分。竹生島に来る船によって帰りの船も決まっているというルールです。竹生島に上陸したら目の前は斜面。山が迫ってきます。じゃ、登りますよ。参道のほうへ向かうとお土産屋さんがたくさん並んでいます。その前を通っていくと料金所があって400円/人とられます。船台を払って島に来たのに、またお金がかかるのか・・・。
 宝厳寺まで登らず、手前の小道を入ってみました。
 すると、舟廊下の下側にでました。この舟廊下は宝厳寺と都久夫須摩神社を繋ぐ廊下。山の斜面に廊下がかけられたので舞台構造になっています。なかなか立派。



都久夫須摩神社
 舟廊下の下の道を進むと都久夫須摩神社の本殿と拝殿の間に出ます。まずは拝殿のほうをお参りしますか。
竹生島龍神拝所というのがあって、両脇には蛇の像がありました。
 右側の蛇は口をあけてミカンか何かを咥えていました。左側の蛇は口を閉じています。ちゃんと蛇も阿形と吽形になっていました。
 天井近くにはしゃもじ。なんでだろう。わりと神社としゃもじの組み合わせって見るね。
 ここ都久夫須摩神社の拝殿ではかわらけ投げができます。素焼きの小皿に願いを書いて岩場に立つ鳥居に向かって投げて、鳥居をくぐれば願い事がかなうと言われています。

 ネコ娘が書いたお願いは・・・彼女の名誉のために内緒です。
 では、都久夫須摩神社の本殿に行ってみます。この本殿はなんと国宝。創建以来何度も火災で焼失したそうですが、今の本殿は1602年に豊臣秀頼が伏見城の殿舎を移築したものだそうです。
 実はこの本殿の奥に国宝に指定された本当の理由があるのですが、いまは安土桃山文化を研究する人たちにしか見学は許されないとか。一般人は見学不可なのです。残念。
 都久夫須摩神社から宝厳寺へ行くために先程下から眺めた舟廊下を渡ってみます。天井には豊臣秀吉が朝鮮出兵の時に使った御座船「日本丸」の船底骨組みを使っているとか。貼ってある札を見たら石原慎太郎っていうものまであったよ。



宝厳寺観音堂
 宝厳寺観音堂。山の斜面に建てられているのでちょっと狭苦しい感じ。お札がすごい。本尊の千手観音像は秘仏として安置されているとか。見れない。
 観音堂を軽くお参りして、さらに進むとぴんずるそんじゃ?っぽいものがありました。色が変わっていてかなりグロい。ネコ娘はビビってました。
 ぴんずるそんじゃ?っぽいものが安置されている場所が国宝の唐門。これはなかなか立派な唐門でした。1603年に京都東山の豊国廟の正門に使用されていた極楽門が移築されたものだそうです。
 唐門の前には宝厳寺弁天堂へ繋がる階段があります。これを少し登って、唐門を見ると、背景に琵琶湖が広がってとってもきれい。っていうか、こんなところにすごい寺院があるね。



宝厳寺弁天堂
 唐門からの階段を登りきったところに観世音奉安殿というのがありました。中には仏像がたくさん安置されていました。ネコ娘が鐘を鳴らしたかったらしく、おばあちゃんの後ろに並んで順番待ち。いざ、ネコ娘の順番になって鐘を鳴らそうと思っても鳴らない。ちょっと難しい鐘でした。
 竹生島は急な階段が多いな。はぁはぁ言いながら宝厳寺の弁天堂にやってきました。庭には小さな五重塔があったのですが、これがなんと重要文化財。鎌倉時代のものだそうです。
 弁天堂内部。本尊は弁才天。江ノ島、厳島とともに三弁才天と呼ばれているそうです。
 弁天堂内には小さなダルマがたくさん並んでいました。お願い事を紙に書いて、ダルマの下からお腹の中に入れて祈祷します。500円だって。当然・・・見てるだけ。

 竹生島は古来から神の棲む島と言われていて、神仏が一体化した思想で発展してきたそうです。ところが、明治政府から神仏分離令(神仏判然令)が出たことで「宝厳寺」と「都久夫須摩神社」に分かれたそうです。



竹生島その他
 宝厳寺の弁天堂からさらに情報に三重塔がありました。これは近年建てられたもののようで特別貴重なものではなさそうですが、見晴らしのいい場所に建ってるんだ。その脇には、きのこのように狩られた木がありましたが、これが樹齢400年のモチの木だそうです。片桐旦元という人が、観音堂の奉行として赴任した時に記念に植樹したものだそうです。
 では、この長い階段を下りて行きましょうか。他の人と逆回りになったのか、ほとんど人がいません。
 せっかくなので、もう一回唐門を撮影。うーん、立派だ!
 途中の手水舎。水が出てくるのは龍ですよ。
 一番下まで戻ってきました。出発して一回りするのに約40分。意外とあっさり終わってしまいました。見どころはいっぱいあったのでもっと時間かかったかと思ったけど。

 一回りしてしまうとやることが無いのが竹生島。多くのお客さんは売店でおでんを食べているようでした。ここのおでんは有名なのかな?ネコ娘とペンギン姉さんはアイスかなにか食べてたな。クマ兄さんは写真撮影して時間潰しました。



今津へ
 帰りも同じ「べんてん」。今津まで30分の船旅です。上の船は「べんてん」じゃないんだなこれが。長浜に向かう「リオグランデ」と思われます。「べんてん」よりちょっと大きいみたいだね。
 帰りは一階席。乗船口に並ぶのがちょっと遅れて、二階席をとられちゃった。二階席は人気なんだね。来る時はガラガラだったのに。船は時間通りに出航し、順調に今津港に到着。竹生島はなかなか面白かった。
 今津港に到着した「べんてん」。なかなかの俊足でした。最高出力23ノットを発揮したのかな?



琵琶湖周航の歌資料館
 今津港に無事到着。駐車場に向かって歩いていたら琵琶湖周航の歌資料館というものがありました。入館無料だそうです。これは行ってみないと。
 小さな資料館の真ん中にフィックス艇という競技用のボートが展示してありました。昭和40年代に国体の種目から外れ、利用者が減少し、姿を消してしまったボートだそうです。
 写真は琵琶湖での湖上輸送が盛んだったころの写真。丸子舟で人を渡したり、輸送船が煙を吐いて荷物を運んだり。明治時代くらいまでは船での輸送が盛んだったそうです。が、自動車による陸路の輸送が発達すると次第に湖上輸送は減少してしまったようです。

 ここまできて、ここで琵琶湖周航の歌というのがどんな歌なのか知らないクマ兄さんとペンギン姉さんは、周航の歌が聴けるCDコーナーで歌を聞いてみる。結果、クマ兄さんとペンギン姉さんの一致した意見は、思っていた歌と違う、ということ。クマ兄さんは渡哲也と松方弘樹の歌を聞いたのですが、どちらもうーん、聞いたことないって感じ。



メタセコイア並木
 今津港を出発してすぐ、ネコ娘が寝てしまった。疲れたのかなぁ・・・。じゃ、もう一か所寄っちゃおう。今津の近くのマキノ高原にメタセコイアの並木があるってツーリングマップルに書いてあるからね。

 今津から約20分で到着。こりゃ、立派な並木道だ。ライダーが車の往来の隙を縫って道路に大の字に寝ちゃってるよ。この並木は昭和56年にマキノ町果樹生産組合が植えたのが始まりだそうだけど、その後も地域の人たちが植え続けたりした結果、2.4kmも繋がる立派な並木道になったそうです。新・日本の街路樹百景にも選ばれています。冬、雪化粧した並木もきれいなんだって。見に来てみたいな・・・。



つづら尾展望台
 マキノから富山方面に帰るには、国道303号線で木之本にでて北陸道を走るのが最短だと思う。でも、まだ少し明るいので琵琶湖の最北端にぴょこんと出ている半島に行ってみようと思います。
 琵琶湖沿いに走れる道路(県道557→513→512号線)があるので、これでつづら尾展望台まで行ってみようと思います。道は写真のように1.5車線って感じかな。
 展望台から高月町方面を見たところ。琵琶湖は湖なので波がほとんどなくて静かだねぇ。
 つづら尾展望台の駐車場はこんな感じ(左)。昔はたくさんの人が来たのかなぁ?立派な駐車場が整備されていますが、ちょっとくたびれていて活気が無い感じ。展望台から西のほうを見ると、琵琶湖の北側が山に囲まれているのが分かります。南側を見ると竹生島が見えるはずなんだけど、木々がさえぎって竹生島を見ることができませんでした。
 県道512号線は一方通行。東行きの車だけが走れるようです。途中に展望台があったので再び高月町方面をパチリ。暗くなってきた。そろそろ帰ろう(16:55)。

 この辺りからネコ娘のお腹すいた〜発言が増えてきたので、ご飯を食べられそうなお店を探しながら木之本方面へ走ります。が、適当なお店が見つからないな〜。結局、コンビニ弁当になりました。

 夕飯を食べて、お腹も満たされたところで出発。木之本ICから北陸道に乗り富山へ走ったのでした。



 帰宅は20:55。走行距離は742km。これくらい早い時間に帰宅できると楽だなぁ。




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