新規サイト005


五日目 三沢と宮古


2013.8.14


 7時起床。あの後、煙草の火を探しているおっさんは現れなかった。途中で緊張が走った割には良く眠れたかな。では、出発しましょ。今日の最初の目的地はすぐ近くだからね。三沢市内で給油して目的地に直行です。



青森県立三沢航空科学館
 8時、あっという間に三沢航空科学館に到着。まだ開いてないよ。駐車場に車を停め、車内でネコ娘は夏休みの宿題をする。クマ兄さんも少しだけ勉強。ネコ娘の宿題が終わったら航空科学館の屋外展示を見に行きます。ペンギン姉さんは車の中で待機。
 いきなりかっこいいF-16から観察。三沢基地には二つの戦闘飛行隊が駐留しています。40機くらい居るんだって。
 こちらはF104。航空自衛隊では230機運用されたそうです。最大速度はマッハ2。最後の有人戦闘機なんて言われたこともあるそうです。昭和41年に東京〜大阪間を10分21秒で飛行したとか。時速2,290kmだって。コクピットに座れるみたいだったのでネコ娘に座っていただきました。本当に座って良いのか分からなかったけど、地元のおじさん?が良いよ良いよって言うもんだから・・・。
 これら三つの飛行機は兄弟。すべて日本製の飛行機です。左上はT2高等練習機。三菱重工が作った飛行機で、超音速で飛行できる練習機ってことで作られました。日本で初めて作られた超音速航空機でもあります。

 左はT2を基に日本が初めて開発したF1支援戦闘機。これもやはり三菱重工製。77機が生産されました。ASM-1との組み合わせによる対艦ミサイル攻撃能力は退役するまでソ連への抑止力として重要な役割を担っていたそうです。

 右上はブルーインパルス仕様のF1。二代目ブルーインパルスとして使われたものです。


 
 こちらはUP-3A。米海軍の第1艦隊偵察航空隊三沢派遣隊に所属していたVIP(要人)輸送機。元々旅客機(L-188エレクトラ)から哨戒機に展開された機体なので、VIP輸送機にするのは障壁が少なかった模様。
 こんな豪華なイスを並べて快適な空の旅を満喫できちゃいます。急患輸送にも使えるように担架を設置する場所もありました。手術はしないと思うんだけどねぇ。ちなみに米海軍第7艦隊司令官が主に使用していたそうです。











 
 この小さなヘリコプターはOH-6。陸上自衛隊は観測ヘリコプターとして改良型も含めると310機も使用した傑作機。現在でも民間型「ボーイングMD500/530系として生産されているそうです。4人乗り。
 この飛行機は三菱重工が開発した陸上自衛隊向けの連絡偵察機LR-1。陸上自衛隊の地上作戦やヘリボーン作戦の際に、戦場偵察などの任務を担います。航空自衛隊でもMU-2S救難捜索機として導入していました。大もとはビジネス飛行機なんですがね。
 これまた素晴らしい機体が展示されてます。F-4ファントムUですね。三菱重工がライセンス生産をして154機が自衛隊に納入されました。実は今でも現役。この機体も三沢基地に配備されていたもののようです。主翼や水平尾翼の傾きがカッコいい。
 T-33というだいぶ古い機体。でも実は2000年まで在籍していた飛行機です。複座のジェット練習機ですが、自衛隊では連絡業務や訓練飛行などで長いこと使われていたそう。うーん、実際に飛んでいるところを見てみたかった。



入館
 9:00、三沢航空科学館が開館しました。入館します!
 エントランスホールを抜け、アクティブフィールドという子供体験コーナーへ。ここはいろいろな体験型学習機器がそろっています。まずは、気球に温めた空気を入れて気球を飛ばしてみます!おぉ!ちゃんと飛んだぜ!って感動して、周りを見るとペンギン姉さんもネコ娘も別の機械で遊んでた。一人ではしゃいで恥ずかしいぜ。
 走るよ!そして速度を測るよ!でも、距離が短いのでダッシュ力が必要です。クマ兄さん、かなり遅かった。14.8km/hだって。ネコ娘と大して変わらん。
 上も右も重力体験コーナー。上は回転板に乗って自分で前後左右に回転させて重力を感じるもの。でも、ネコ娘はビビりなのであまり動かせず。お姉さんもあきれ顔。

 右はジャンプ!したらいろいろな静止画を撮影してくれるって言うもの。でも、それだけでした。自分のジャンプ姿をいろんな角度から見れるって言うのは珍しいかな。
 左のタワーは中のカプセルに入って、空気圧で上下するっていうもの。ちょっとした遊園地のアトラクション。入館料だけでここまで遊べるとは・・・充実してるねぇ。そして、夏休みなのに人が少なくてじっくり遊べるのが良いねぇ。

 右上は誰でも知ってる?YS-11ですよ。あとでじっくり観察します。 
 こちらはヘリコプターの姿勢制御体験コーナー。ヘリコプターはメインローターとテールローターがありますよね。メインローターだけだと、機体が反作用で回ってしまうので、テールローターで姿勢を固定します。このテールローターを操作して、自分の思った方向に向きを変えるって装置です。が、きびきびと動かず、行きすぎたり足りなかったり・・・動きを予測しながら操作するのは子供は苦手みたいですね。
 では、YS-11をじっくり観察しよう。展示されている機体は東亜国内航空で就航し、2002年まで日本エアーコミューターで運用されていたJA8776。60,942回も飛んだ機体です頑丈ですねぇ。航続距離は1,280kmと短いYS-11ですが、頑丈な機体を活用して離島航路などで活躍したそうです。

 コクピットに入るとかなりきれいな状態でした。屋外展示だと、経年劣化しているものも多いですが、ここは新しい機体を屋内で、きれいに清掃して展示しているためとっても良い状態。アナログなコクピットが時代を感じさせますが、今でも飛べそう。
 さて、再びアクティブフィールド。これはいろんな子供科学館で見られる定滑車と動滑車を組み合わせた椅子ですね。自分の力で椅子と自分の体を持ち上げられます。中学校の理科でこの原理は勉強するんだっけ?
 ピンスクリーンで自分の体を立体的に映し出す。右の顔はクマ兄さん。この写真なら顔を消さなくても良いね。
 こっちは赤外線カメラで自分の顔を移す。うーん、誰が誰だか分からんな。かろうじてネコ娘の方が赤いか?
 二階のディスカバリーランドってところにくると、今までよりもう少し科学的な展示。これも、時々みかける展示だけど、チューブの中に入っている発泡スチロールビーズにスピーカーの音を当てると、音の強度や波長によって、ビーズが踊るっていうもの。ある音の高さでは、ビーズが特別激しく波立ち共振していることも分かります。そういう説明書きがちゃんとあったかな?
魔女!



零戦21型
 特別展も開催していました。別料金だけど入ってみました。

 この展示機は平成23年に東映の映画「山本五十六」で使用された実寸大の零戦21型。設計者の堀越二郎さんは映画「風立ちぬ」の主人公ですね。

 この零戦(零式艦上戦闘機)は長大な航続距離(2,200km)、20mm機関砲二問という重武装、優れた格闘性能により太平洋戦争初期は圧倒的強さを発揮しました。

 でも、後継機の開発が遅れまくったために、終戦まで零戦が主力だったんじゃパイロットはかわいそうだなー。


 
 こちらは特別展の目玉、一式双発高等練習機。なんと十和田湖の湖底に69年間も沈んでいた機体です。陸軍機。連絡機や哨戒機へも派生した傑作機だそうです。
 この機体は2010年、十和田湖の湖底の地底調査を行っている際に発見されました。1943年、北部第74部隊所属の機体とみられているそうです。墜落当時、現場近くにいた当時13歳の少年の証言から機体が発見されたとか。機体は十和田湖の水深300mのところにあり、水温が年間を通して4〜5℃ということで腐食が少なく、塗装まで写真のように残っています。

 この飛行機を見るだけでも三沢航空科学館に来る価値あるな・・・。



ミス・ビードル号
 最後にミス・ビードル号を鑑賞。この飛行機は三沢からワシントン州まで41時間かけて太平洋無着陸横断飛行に成功した飛行機(復元)です。単発5人乗りの旅客機を改造して、後部座席と機体底部に燃料タンクを増設し、3,600Lの燃料を積んで三沢を飛び立ったとか。離陸したら車輪を切り離して空気抵抗を減らし、着陸する時には胴体着陸したそうです。三沢って昔から航空産業が盛んだったんですねぇ。
 こっちはミス・ビードル号を操作して海岸線を遊覧するゲーム。模型のミス・ビードル号にカメラが付いていて、モニターで疑似体験。海岸を見降ろしちゃいましょ。



 これにて三沢航空科学館の見学は終了とします。11:00、科学館を出発。今日は朝から濃い見学になったな。



宮古へ
 三沢航空科学館を出発したら三沢市内を通り抜けて第二みちのく道路を通ります。このまま八戸道に行けるはずなんだけど、いったん三沢ICで降りてETCを通さないと、出口でETCカードによる清算ができないらしいです。ということは、ETC割引を使えないってことだよね?それは困るので、三沢ICで降りてETCカードをチェック。再び第二みちのく道路に戻り南下します。
 そのまま走ると百石道路⇒八戸道となりどんどん南下。お昼ご飯は時間の節約のために、走りながらパンを頬張ります。ネコ娘はDVD鑑賞をしながらパンを頬張る。
 八戸道軽米ICで高速を降り、国道395号線で太平洋岸へ出ます。そこそこ快適な国道を走り、久慈からは国道45号線で南下。この道は太平洋岸を宮城県まで走る主要幹線道路。

 13時、野田市街地に到着。海岸沿いは東日本大震災の時の津波ですべて流されてしまったんだね。ずっと平地が続いています(左)。防波堤もいつ治せるのやら(右)。
 14:00、小本の市街地に到着。ここも津波にやられたっぽい。この辺は海岸線から1,500mも離れているのに。自動車専用道路もここで終わり。
 14:40、浄土ヶ浜近辺に到着。が、駐車場に入れない。渋滞というか駐車場待ちの列に入ってのんびり待っていると、右側にプレハブが並んでいるのが見えました。ここは浄土ヶ浜の駐車場の土地を利用した仮設住宅。東日本大震災の被災者用です。2年経ってもまだまだ復興は遠いね。



浄土ヶ浜
 駐車場から徒歩約10分、浄土ヶ浜に到着。浄土ヶ浜には久しぶりに来たなぁ。クマ兄さんとペンギン姉さんは岩手大学に通っていたので、学生時代は毎年のように浄土ヶ浜に遊びに来ていたんだけど、社会人になってからは来る機会が無くて久しぶりの訪問です。東日本大震災のときに津波も襲って来たんだろうけど、風景が変わったかどうかも分からないくらい久しぶり。でも、観光客はいっぱいいるし、地元の若者も海で泳いでいるし、元気があって何よりだ。ただ、昨日の仏ヶ浦に比べると、風景のインパクトは負けちゃうね。
 ちなみに本日の最高気温は38度。15時を過ぎたとはいえまだまだ暑い。浄土ヶ浜レストハウスでお土産を物色したんだけど、これって言うものが見つからず、でも宮古に少しでもお金を落としたいなぁと思ってネコ娘にアイスを食べてもらいました。

 外のベンチでアイスを食べていたら、レストハウスの二階の壁に印があるのを見つけました。写真の赤←です。東日本大震災の時、津波はこの高さまで来たんだって。



盛岡へ移動
 浄土ヶ浜見学もおわり、盛岡へ向かいます。今日は珍しくホテルに泊まるんだ。今年二回目くらいのホテル泊では無かろうか・・・。

 宮古市内を通過すると、津波の被害があったようで空き地が目立つ。車はたくさん走っているんだけど、市街地の復興はまだまだなのかな。
 宮古から盛岡までは国道106号線を走ります。閉伊川にそって走る。宮古市街地を抜けると交通量も減って快適に走れます。そういえば、クマ兄さんが岩手大学の大学院生だったころ、盛岡市から宮古市までの約90kmを研究室仲間と一緒にママチャリで走ったことがあったな。朝3時ごろ盛岡を出発し、9時か10時くらいまでかけて区界峠まで登る。区界峠から宮古まではずっと下りなので、14時か15時くらいには宮古に着いたような。とても暑い夏の日で、途中からTシャツを脱ぎ、上半身裸で走ったので人生で一番ひどい日焼けをしたんだった。二度も皮がむけたんだよ。106号線を走りながら昔のことを思い出しちゃった。



盛岡冷麺
 18:30ごろ盛岡駅前の東横インに到着。愛車をリラックスワゴンにしてからホテル泊がすごく減ったんだけど、ホテル泊をする理由はお酒を飲むため。クマ兄さんは下戸ですが、それでもビールは嫌いじゃない。そこで、今晩は懐かしの盛岡グルメを楽しみつつビールもいただいちゃおうって魂胆です。 
 今晩のお店は盛楼閣というお店。盛岡駅前のビルに入っています。クマ兄さんが大学生の時、アルバイトとしてやっていた家庭教師の教え子が希望の高校に合格し、最後のお祝いに食べに来たお店。思い出のお店です。そして、高いお店であることもよーく覚えています。
 まずは野菜焼きの盛り合わせにレバー。野菜の盛り合わせは850円、レバーは900円。美味しいけど高いなー。
 牛タンも頼んじゃった。1500円。いつもの焼肉食べ放題の感覚で食べてたらとんでもない金額になっちゃうぞ!そろそろメインを注文しよう。
 今晩わざわざホテル泊にした理由は盛岡冷麺を食べるため。左はペンギン姉さんの盛岡冷麺辛味別。右はクマ兄さんの大盛辛口。ここの盛岡冷麺は美味しいな〜。盛岡以外ではこの冷麺をなかなか食べられないので、ペンギン姉さんと大学時代の思い出話をすると食べたくなっちゃう味なのです。大満足〜。



 この後、ホテルに戻りクマ兄さんはコインランドリーで洗濯。が、ホテルのロビーでパソコンを見たら仕事メールが大量に来てる!結局、洗濯をしながら23時過ぎまでロビーで仕事をしてしまいました。



四日目 六日目
東北めぐり に戻る



クマ兄さんの部屋 に戻る

旅の記録 に戻る