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七日目 ボン


2013.10.25



 本日がドイツを満喫する最後の日。昨日に引き続き今日も午前中は企業訪問。午後は観光です。今日はケルンから南へ、ボン方面へ行きます。ボンは東西ドイツに別れていたときに首都になっていた都市ですね。どんなところかなぁ。



Reifenhauser Extrusion
 深夜未明にSさんはホテルに戻ってきた模様。朝、クマ兄さんが起きるとSさんは布団にくるまって蚕になってました。朝食は無理かなぁ〜って思って起こさなかったんだけど、朝食を食べてたらSさんも起きてきました。今起きなかったらずっと寝そうだったから・・・らしいです。9:00、バスに乗ってホテルを出発。
 本日の訪問先はReifenhauser Extrusionという会社。昨日のDavis Standardはアメリカの会社でM&Aを繰り返しながら大きくなった会社で、世界でも有名な会社ですが、本日訪れるReifenhauser Extrusionはまったく逆で、ドイツ語圏の中だけで商売をしているそうです。そして、Reifenhauser Extrusionは家族経営の会社。今の社長のお爺さん?が鍛冶屋からスタートした会社で、今では7〜8社の子会社で成り立っていますが、みんな一族が社長をしているとか。それでもドイツ語圏ではかなり成功している会社なんだそうです。
 ツアー参加者が多いため、会議室に入れず今日も受付前で休憩。ここにも飲み物やお菓子が用意してありました。ドイツの企業って会議室に必ず飲み物とお菓子が用意してある。
 右はReifenhauser Extrusionが初めて製作した押出機。電気のケーブルを作るもので、電線の周りに塩ビの被服をしていくもの。1948年製です。この会社も戦後出発の企業っぽいね。

 1時間半ほど工場見学や研究所見学をして終了。

 12時、Reifenhauser Extrusionを出発しボンに向かいます。



旧日本領事館
 Reifenhauser Extrusionのあるトロイスドルフからボンまで約30分。ボン市内に入ったら旧日本領事館の前を通過しました。今はドイツの物流会社DHLのオフィスになっているようです。日本領事館らしく、桜の木が植えてあるんだって。
 東西ドイツが統一された1990年まではドイツの首都だったボン。もともと小さい町だったそうです。いつか東西ドイツが統一されたとき、西ドイツの首都が大都市だと、そのままその大都市が首都になっちゃうんじゃないか、と考え小さな町ボンを首都にしたそうです。憲法上はベルリンが首都だったから。
 ちなみに西ドイツだったとき、ボンはドイツ中で一番治安の良い町だったそうです。だって、人口30万人くらいの町に国会議員がウジャウジャ住んでるんだから。



昼食を食べにボン市街へ
 12:50、ボン大学の近くでバスを降り、ボン大学の敷地を歩く。雨が降ってなければ街路樹も映えるんだろうけど・・・。
 この黄色い建物がボン大学の校舎。もともとはケルン選帝候の住居として1705年に建てられた宮殿だそうです。じっくりみたいけど、お腹ぺこぺこサムライ達はスルっと通過。時間があればあとから見に来よう。
 ボン大学校舎を通り抜けると繁華街に行ける模様。
 ボン大学校舎を抜け市街地に入ってくると広場がありました。ここはマルクト広場。広場の端にあるのが旧市庁舎(右)です。西ドイツ時代、政治家などが階段上の踊り場で市民に向けて挨拶するので有名な場所だそうです。
 マルクト広場にはたくさんお店が出ていて、野菜とか果物を売ってます。じっくりみたいけど、お昼ご飯を食べるレストランへ移動中なので歩きながらパチリ。
 マルクト広場からボン小路へ入る。するとピンクの建物。ここがベートーベンの生家らしい。とりあえず正面をパチリ。ここも時間があったら見に来よう。



Im Stiefel
 お昼ご飯はベートーベン生家の前からボン小路をマルクト広場の反対方向へ歩いて1分のところにあるIm Stiefelというお店に入りました。
 もうすぐ14時、という時間ってこともあり店内はガラガラ。でもゆっくり食べられるのでヨシとしよう。ツアーに参加している他の会社の人ともだいぶ打ち解けてきたので、ゆっくり話をするにはちょうどいい。クマ兄さんはポークステーキ、ポテトつきにしました。たしか11ユーロくらい。あと水。
 ちなみにドイツのレストランでは水は有料。250mLくらいの瓶で2か3ユーロくらいしたと思う。ビールより少なくて高いんです。
 この方はクマ兄さん達と同じ富山県からツアーに参加した人。会社は違うけどね。美味しそうにシュヴァルツビアを飲んでますが、実はこれが二杯目。一杯目はアルトビアを飲んでました。うまそうに飲むねぇ。
 昼食が終わり、会計で若干のトラブルが発生し、自由行動になったのは14:50頃。でも、17時に旧市庁舎前集合なので結構時間があるぞ!気合を入れて観光する!



ベートーベン生家
 まずはすぐ近くにあったベートーベンの生家に行ってみることにしました。Iくんも行くっていうので二人で入ってみます。
 ベートーベンの生家は内部の写真撮影禁止だったので、中庭の石像だけ写真撮っておきました。

 ベートーベンは1770年12月にこの家の屋根裏で産まれたそうです。22歳までここで生活していたとか。
 
 展示品にはベートーベンが使用していたヴィオラとかピアノがあります。
 他にベートーベンが難聴になってから使用した補聴器とか、ライフマスク、デスマスクも展示してありました。

 デスマスクって死んだ人の顔の型を石膏などでとったもの。ライフマスクは逆に生きているときにとったもの。

 いろいろ貴重なものが並んでいてIくんと二人で日本語パンフレットを読みながら、これは何だ?あれは何だ?と言いながら解読していくのが面白かった。

 写真を撮れなかったのが残念。


 



ミュンスター広場
 ベートーベン生家を出た後はIくんと別れて単独行動します。Iくんはお土産を物色するって。たしかにこの小路もたくさんお店があってお土産を買うにはちょうどよさそうだ。
 マルクト広場からミュンスター広場へ向かう途中の道端に、昔の城門を見かけました。ボンも紀元前にはローマ帝国の支配下にあったこともあるので、その頃の名残りかな?
 ミュンスター広場に到着。ここにもベートーベンの銅像があります。



ミュンスター寺院
 ベートーベンの銅像の写真を撮り終えて、クルッと振り返るとそこにはミュンスター寺院が立ってました。この寺院はロマネスク様式からゴシック様式に移る過渡期の最高傑作と言われているそうです。1346年にはカール4世の神聖ローマ帝国皇帝の戴冠式行われた神聖な寺院なのです。尖塔にも登れるらしい。今日は登らなかったけど。
 キリスト教らしく、十字架に磔にされたキリスト像(左)がありました。が、ミュンスター寺院の裏側に回ると、石像の頭が転がってます。オブジェとして転がしてありそうなんだけど、どういう意味があるんだろう?
 ヨーロッパの教会って雰囲気満点のミュンスター寺院でした。この建物は11世紀に基礎が築かれ、12世紀に尖塔が完成したんだって。



聖十字教会
 ミュンスター寺院の次はボン大学を見ようと思って駅周辺からボン大学へ向かう。すると、聖十字教会というのが見えてきました。比較的立派だけど、どんな由緒があるのかわからなかった。



ボン大学
 雨がやんだので再びボン大学にやってきました。過去二回、火災と戦災で焼失しているそうですが、その都度再建されています。
 横長建物の中央部分がコトブッサー門というらしい。その上部に天使の像が飾られています。金ピカ。
 じゃ、内部に潜入してみよう。
 この長屋のような校舎の表と裏では地面の高さが違うようで、階段を登り降りしないと校舎の反対側に出られません。さっき、お昼ご飯を食べに行く時はこの階段を降りて左の方に行ったんだけど、今回は校舎内を散策してみます。
 廊下を歩くとすぐに教室が並んでます。ちょっと覗いてみると・・・黒板に人が寝てるような絵が描いてあるけど、なんの講義か分からんな。
 校舎をさらに散策すると、金色の騎士の像を発見。写真をとっていると学生達に変な顔でみられました。すぐ撤収!
 校舎を出る時、左右の壁に呪文のようなものが描かれた場所に遭遇。宗教的なものなのか、歴史的な記
録なのか分からないけど、大事なモノっぽい気がした。ちなみに、ここボン大学には五千円札の肖像画で有名な新渡戸稲造も留学しているんですね。100年以上前のことです。どんだけ長旅だったんだろう。



Poppelsdorfer Allee
 ボン大学の見学を終え、ミュンスター広場に戻ってきたけどまだ15:50。集合時間まであと1時間くらいあるな・・・。じゃ、ポッペルスドルフ宮殿まで歩いてみるか。
 ミュンスター広場からボン中央駅へ歩き、線路をくぐる。と、その通路には花屋さんが出ていました。帰り道の目印にしよう。
 線路をくぐると、その先には広場のようになった道が500mくらい真っすぐに続いています。Poppelsdorfer Alleeっていうらしい。線路が無ければボン大学の校舎(元宮殿)からポッペルスドルフ宮殿まで真っすぐに繋がっているみたいだ。天気が良ければかなり良いお散歩コース。今日は雨が降ったり止んだりなので足元がよろしくないけど。



ポッペルスドルフ宮殿
 ミュンスター広場から早歩きで20分弱、ようやくポッペルスドルフ宮殿に到着。現在はボン大学の一部になっているようですが、宮殿はそのままのようです。
 ポッペルスドルフ宮殿の門をくぐってみると、中庭?が石畳で丸く模様を描かれていました。建物はドーナツ状になってるのかな?
 Poppelsdorfer Alleeを歩いてボン中央駅方面に戻る。ちょっと車道の方に行ってみると、車道も石畳。写真じゃわかりにくいけどかなり深い轍になってました。
 ボン中央駅付近まで来たらオシャレな町並みで足を止めました。路面電車も良いねぇ。後日、会社に戻ったら他部署の2歳年下の後輩が、先日までデュッセルドルフに赴任していたと知りました。詳しく聞くと、ドイツは住みやすいらしいね。ちょっとだけなら住んでみたいかも。
 16:50、集合時間の10分前にマルクト広場の旧市庁舎前に到着。迷子になることも無く、ボン市内の観光ができて良かった、良かった。
 17時、バスに乗って出発。ケルンに戻ります。走りだしてすぐ、ボン市内にある旧墓地の横を通りかかる。この墓地にはシューマンの墓があるそうです。どれがシューマンの墓なのかは分からなかったけど。



 そしてバスは無事ホテルに到着。今晩でケルン宿泊は最後。ということで、今回のツアー仲良くなった人達で夕飯を食べに行くことにしました。



FARMER'S
 19時、ケルン中央駅で皆さん両替。駅でのレートはとても悪い。成田空港で両替してきて良かった。

 で、お食事は大聖堂の裏側にあるFARMER'Sというレストラン。ステーキが食べられるようです。
 まずはケルシュビアで乾杯。ドイツはどこでビールを飲んでも美味しいなぁ。そして、皆さん小さめのステーキを注文する中、クマ兄さんはDIE MAGNUM STEAKSを注文。400gらしいです。注文の時、ウェイトレスのお姉さんになぜか笑われました。で、出てきたのが右のステーキ。確かに大きい。
 でも、クマ兄さんですよ?400gのステーキなんて余裕ですよ。13分後には骨だけになりました。まだまだ食べられる感じ。クマ兄さんの胃袋はドイツ人もびっくりですな。



 ということで、ドイツの最後の夜も終了。ホテルに戻って荷造りしておやすみなさい。明日は帰国だぁ。



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